第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」

1997年11月17日

1997年11月17日

自分の音色の中で、気になるものを解消しようと、爪の角度や座りかたを変えて練習してみている。

少しショックだ。私の音色は変わらないものと思っていた。それでいいのかどうか、それもわからないけど、とにかくそう思っていた。
女史の音色に近くなってしまった。
少し迷いがある。

1997年11月1日

1997年11月1日

合宿が終わって、PM11:00帰宅。
今回は現地でリアルタイムに成果がありました。
その最大は糸です。
「胡笳の歌」をやってたとき、突然糸の太さが3倍ぐらいに見えたのです。間違えて17絃の前に座っちゃったのかと思いました。とにかく太いんです。太く見えるんです。しばらく色んなことをして、またお筝の前に座ると、本当の太さに戻ってて、音も17絃の音から筝の音に戻ってるんです。
糸に圧倒されてるのかなとみんなに話したら、野球選手が向かってくるボールがとまって見えるのと同じじゃないかというのです。
そう言われてみると、前回は最後には糸が見えなくなったわけで、今回見えないどころか3倍もの太さに見えるということは、私とお筝の距離がなくなったということではないかと。
これからいつでもそうなれるのか、それともある特別な条件が揃わないとだめなのか。だとしたらその条件が揃ってもならない時の原因と打開策はなんなのか。
そんな理屈なんて全然関係なく自分の心のみ信じていればいいことなのか。かえって課題が増えちゃった気もするけど、ここは自然体でいるしかないです。答えが向こうからやってくる日を楽しみに.。

1997年10月29日

1997年10月29日

おとといは雪月花の下合わせ。全面的に納得できたわけではないけど、手ごたえは確かで。レベルが高いので気持ちいいんですよね。

ところで、ピッチの件ですが、尺八の本来のピッチは440だそうです。最近の主流は442。
しかし、443から444にすると、ずいぶんおしゃれな音になるというので、だいぶ高めで取る人が増えているらしく。
私はそういえば442で慣れているので、耳的にはその方がしっくり来ます。ピッチが高いとおしゃれな分、泥臭さが抜けてしまうような気がするのです。

1997年10月21日

1997年10月21日

雪月花のCDを聴いていて、ひょんな事に気づきました。
自分で弾いて、CDを聴いてと繰り返している時、CDの高音部は少し高いなとは思っていたんだけど、ハタと、これはピッチ442で取ってないんでワないかと。全くもって鈍なのでありますが、試しに 444で取って見たところ、音色が完璧に変わってしまいました。
暗いところ、ダサいところがシャープになって、おしゃれな音になったのです。どういうわけか、そしたら急に私の中の物語が息を吹き返したみたいになって、ハマるんですよ。
ズレに気づかなかったことは超恥ずかしいけど、気づいた今、微妙な音のズレが、こんなにも気持ちに影響するものだとわかって、心底驚いています。かなりショックです。CDと一緒に練習するにしてもピッチが合ってなければそれはしんどいはずです。

1997年10月17日

1997年10月17日

雪月花、少し開きました。
あんなにこてこての物語を作ってしまったため、「演」じなければ入り込めなくなって。
だけど、「演」じていると「自分」がどこかに行って、タイミングを外したり、気持ちの割には音がやせてしまう。
「音楽」を「演」じなければいけない訳で。
信先生が「演技は我を忘れて、音楽は自分を見失わないで」と言ってたことを思い出します。
という中、本日、先ほど、頭の中に二人の自分を置くことが出来ました。簡単に考えれば、ただ冷静になっただけなのかもしれないけど、今まで悩んでいたのは、この「バランス」だったような気がするのです。
バランスがとれていないからどっちかになりきろうとして。どっちに傾いてもいい音になれなくて。
女史がいつか言ってた「弾いている自分と周りの音を確認している自分と、客席にいる自分が同時にでてこなければならない」というのは、それもある意味バランスかなと思うのです。

有名らしいけど、あるジャズサックス奏者のことば
****練習を、1日休んだら、女房にわかる。
         3日休んだら、仲間にわかる。
         5日休んだら、仕事がなくなる。****