第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」

1997年10月16日

1997年10月16日

9月29日からひきはじめた風邪。11日に大きくぶり返して、筋肉が全部痛み、一日中寝込んで本日に至るまで、まだ直りきっておらず。ひどい目にあっております。
今のところ、何も生まれておりません。
9日は田嶋先生のリサイタルでした。
田嶋先生の音色は飽くまで透明で美しく、優しいものでした。
鳥肌が立つほど柔らかく響く音はやはり芸術品だと思うし、なにしろ一曲終わる毎に先生の楽しそうな笑顔はすばらしいものでした。
個人的にはもっと泥臭い音の方が好きだけど、洗練された音はやはり文句なく。

雪月花は音にゆとりが出てきません。すごく汚い音で。
苦しんでおります。

結局風邪なんかが何かを持って行ってもくれないし、何も生み出してもくれないってことだけはわかりました。収穫、シュウカク。
もう、これは努力あるのみで。いいんですよ、いつものとおり、必死こいてやってればそれだけでサ。などと、ふてくされつつ。
しかし、ホント雪月花は気を抜いたが最後、そこから修正は出来ません。

1997年9月29日

1997年9月29日

10月9日、田嶋先生のリサイタルがあるそうで、受け付けのお手伝いを仰せつかった。

「雪月花」から、今学んでいます。
この曲はなにか魔力を感じます。
私は出身が歌なので、今まで曲想をつかもうとする時は歌詞らしきものを当て嵌めようとしていたのだけど、どうにもぎこちなくなって行く。なんとなくそれはわかっていた。
ところが、同じ吉崎克彦作品の「華紋」の時に頭に浮かんだのは歌詞ではなく「絵」だったのです。桜の木の下で赤い振袖の姫が舞い狂う絵。
今回雪月花にたどり着いて、やはり頭の中にあるのは決して歌詞ではない。心は言葉として出てくるけど、頭でその言葉は追っていない。やはり見ているのは絵。
私は絵が書けないからかも知れない。
人物は出てこない。花の精、雪の精、月の魂として見えてくる。言葉などない。
聖霊たちは何一つ言葉など発しちゃいない。
心の中は絶叫しているのだけど、「言葉」などという小さなものになんてまとまらない。
自分の魂を叩かれ続けている。取り憑かれている。
ほんの一瞬でも気が逸れると続けて弾けない。
魔力としか言いようがない。

これを弾くためには魔力が必要です。

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音楽は心で奏でるものさ。なんて理屈ではわかっていた。心のない演奏を聴くと、つまんないな、とも思っていた。
だけど、どうしたら心で弾けるのか、その答えを探しつづけていた。
あれなのか、これなのか。今までずっとこの日記に思い当たることとか、感じることを書き続けて来た。
今読み返すと、自分の中の意識改革の流れが見えてくる。

いつも“それ”は突然くる。
突然路が開けたり、突然が見えたり、突然手が軽くなったり、それまで一体何をしてきたんだろうと思うくらい本当に「突然」なのだ。
でも、どれをとっても回り道をしてきた訳ではなく、1kmの道を5分で走ろうと、3日かかろうと、それには全部意味があるんじゃないかな。
5分で走りきったときの答えは軽くて、3日かかったものが重いとも限らないし、私は時間がかかり過ぎる方だとは思うけど、だけど自分の足で歩いて来た道である限り、その道程は覚えていられる。どんな石が落ちていたかとか、どのくらい曲がりくねっていたかとか、傾斜はあったかとか。

しかし曲に入ってからは、その道程は忘れなければならない。イメージが滞るから。
歩いてきた足元を見ていたら、転んでしまうし、その先どれだけの距離があるのかわからなければ、どれだけの深さで呼吸すればいいのか見えない。
歩いて来た道を、ただ信じればいい。信じていれば不安な音など出ない。真摯であること。真摯であれば自分を疑う必要はない。そこには驕りもない。そして真摯な演奏しか生まれてこない。
そうであるなら、「誰か」が感動してくれる筈。

1997年9月8日

1997年9月8日

6日の夜は六本木のバレンタインというお店で御木裕樹の和太鼓ライブ。
第一部は木下伸市(津軽三味線)とのセッション。
第二部がロックバンドも加えての派手なライブ。
「木下伸市」は凄いです。
ライブのステージの作り方も御木、木下コンビの息も絶妙で、「プロ」を感じます。
打楽器(太鼓は勿論だけど、三味線というのも打楽器を抱えてるようなところがある訳で)の魅力と力強さ、面白さには、やはりかないません。
お筝で、一体なにができるんだろうか。

「何をやりたいか」っていう問題の原点があるんだけど。
まだ出会ってないんだろうな。
でもお筝の何かを見て、「これだ」なんて言ってたらそれはもう出遅れてる訳だよね。誰かのコピーなんだから。

1997年9月4日

1997年9月4日

雪月花、イメージできてきました。確かに全部の曲にこれをやってたら、女史の言うように魂削られますけど。

とりあえず。
 一筝(特にソロ)が花。
 二筝は雪。
  17絃が風。
 尺八は月。

おだやかな風に乗って粉雪が少しづつ舞い降りてくる。その雪は花に焦がれて一緒に舞い狂おうとしている。花は何も知らない。風は雪に押されるかのようにその力を増していってしまう。
 全てを見ているのは月。
 月は花に教えようとする。「それは雪だ。おまえ自身ではないのだよ」
 だが風の音にかき消されて、その声は花には届かない。
 遂に花は雪に騙され、自ら舞い散って行く。
 やがて騙されたことに気づいた花は嘆き、泣き叫ぶが、もう誰も止めることは出来ない。

 しかし、花も雪も風も月も、それが、どうすることも出来ない自然の摂理であることに気づいている。
 抗うことの出来ないそれぞれの性であることを知っている。
 それぞれが自分の罪の深さを嘆き、哀しんでいる。

1997年9月3日

1997年9月3日

もう9月です。ぢきにアタシも45。!?

雪月花、本日やっとちょっとだけど手ごたえあり。です。一ヶ月半ぐらいかかりましたか。
CDとは何度も合わせてたけど、一箇所どうしてもズレるところがあって、よくわからなかった。
ただひたすら疲れて、つなぎ目もぐしゃぐしゃだったけど、今日なんでズレるかわかった。一音づつ足りなく弾いていたのだ。そこがわかった途端、急に弾くのが楽になって、譜面も先を見られるようになった。
なんでなんだろう。おできが取れたら急に他まで元気に、というかその一つのおできのせいで全部がグズグズになってた気がする。不思議だ。
つい昨日まで嫌になっていたのに。

田嶋先生のおことば
****一曲の中で一音でもいい音が出せたらそれでいいんです。他は気にすることはありません****