第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」

1997年10月2日

1997年10月2日

 ただいま風邪をひいております。
夜中は咳き込んで眠れず、関節が全部痛い。
今日で4日目になるけど、ふと気が付いたら、頭の中に雪月花が回っていない。止まってしまっています。
体中の筋肉も完璧に力がなくなっています。掃除機も引っ張れない。久しぶりに大きな風邪です。細かいことが考えられない。
この3~4年そういえば大きな風邪を引いていません。
なんかチャンスかなと思っています。
肉体が元気でなければ本当に音楽なんて演奏できないなと思うけど、こんなに長い時間音から離れられる。頭を空っぽにすることが出来るんですね。
今の私には、ちょっと必要な空間かなと思うのです。
元気なときは、やれるのにやりたくないと思ったりして。
今は、やりたくてもできない。心が疲れたときもやっぱり弾けないんだろうな。
風邪とともに余分なものが全部抜けていったらいいなと思うのです。
なにか生まれたらいいな。・・・・・・完全に音が止まっています。

1997年8月29日

1997年8月29日

楽器屋さんの「のぼる」さんに来てもらって糸の張替えをしてもらった。彼自身三絃をなさるようで、ステージの作り方から、選曲から、よくわかっている。話してて面白い。

1997年8月26日

1997年8月26日

昨日、八の糸が切れました。金曜日まで練習できません。
困りました。一面しか持っていない宿命です。

CDを聴きなおしています。プロの演奏な訳だから、そうなんだろうけど全般的にさらさら移動している感じもあるが、やはり息がつけないという感覚は抜けない。
田嶋先生がどういうコンセプトで曲を作るかわかんないのと、私自身まだこなれていないので、どういうことになっていくのか不安がある。

ここのところ、ときどき自分の音がきつく感じることがあった。なにかに怒っているとき自分の音が鋭くなっているようで嫌だった。
私は「怒り」で自分を表現することもできないし、「攻撃」で相手に近づくことはできない。
愛というと大げさだけれど、やっぱり人と人の和がなければいいものは作れないと思う。

1997年8月25日

1997年8月25日

雪月花ができないので、吉崎克彦のCDを買いました。
超ショックです。息つく暇がありません。
ごまかしてる暇もありません。

1997年8月18日

1997年8月18日

6、7月はなんだかんだと忙しく、お筝と静かに向き合える時間がなく過ぎていった気がする。
本日午前中、しばらくぶりでゆっくり弾けた。
台北の「雪月花」がなかなか仕上がらない。

練習の時、手ならしも兼ねて「じょんがら」を必ず弾くようにしている。6連符のところ、爪を立て気味にすると音が鮮明になるようだ。手を寝かせて弾くだけではとても出来ないんだとわかった。
「今頃・・・」という気持ちもあるが、いろんな曲を弾いているうちに出てくる「自分のコツ」なのではないだろうか。やはり、それをつかむために私はひとりで自分を見つめるほうが性に合ってる気がする。
他の人の演奏やら、音から得るものは、勿論たくさんあるけど、自分の体が反応しない限り自分のものとして身につかない。