第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年7月30日
21日は田嶋先生門下生の発表会。
緊張するかなと心配してたんだけど、衣装を着て、女史が貸してくれたイヤリングを付けたら、なんか心の中でクイっと頭をもたげた自分が生まれた。
久しぶり、しかも見知らぬステージに立ったときには田嶋先生すら、私の意識の中から消えた。
他の、お筝の大先生たちに至っては、考えの中にさえなくなっていた。
不特定多数の「誰か達」に「さあ、聴いて」って。
またひとつ、大きくなにかがはじけた気がする。
いろんな「現実」と隔たりができた。
1997年7月30日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年7月16日
ちとしゃん亭は想像以上にすばらしいものでした。
第2部の上妻君の津軽三味線と御木君の和太鼓に魅せられました。特に太鼓については文句のつけようがありません。
太鼓に引っ張られて、三味線が息を吹き返すといった感がありました。
定期演奏会は悲喜こもごもといったところですか。
昨年に比べて完璧なものは一つもなく。
なぜなのかもわからず、コメントはちょっとしにくいです。疲れました。
今のところ、次の「古城の旅人」の仕上げにかかっています。
次回、候補曲は
「琴姫のうた、月姫伝説、摩訶不思議な夢、明石、晩秋、胡笳の歌」
1997年7月16日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年7月10日「雪月花によせて」
本日は「ちとしゃん亭」のライブを聴きに行きます。
話は前後しますが、田嶋先生のお言葉、もう一つ。
****演奏は80%出来ればOKです。
例えば1曲に500の手があるなら、そのうちの20%は
100になります。その100を間違えたって、そんなもの
なんの問題もないのです。****
気が楽になります。
テレビで見たんだけど、盲目のバイオリニスト、和波さんだっけ?
****ステージに立つとき、自分の緊張を、自分で煽ってはいけません****
11月に台北で演奏できることになりました。
中根先生が誘ってくれたんですぅ。
ぬぁんと、田嶋先生と同じ曲に混ぜてもらえるんですぅ。
ヴー!
「雪月花によせて」。
1997年7月10日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年6月23日 「古城の旅人」
21 日は田嶋先生のところで音合わせ。
大変な収穫がありました。
7対3の話
****10のうち7は周りの音を聴きなさい。
残りの3に目一杯自分を出しなさい。
それが合奏です。****
これを聞いてから、みんなの音に耳を澄ましたら、それぞれ要所要所でピシッと自己主張しているのがわかった。
それが聴こえたら、リラックスして自分のイメージしたように弾けた気がする。
田嶋先生、アンサンブルを大いに誉めてくださって、本番まで下合わせなしと言うことになってしまった。
1997年6月23日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年6月19日
「五段砧」の解釈を本で調べてもらった。
歌の部分は、花になぞらえて遊女の名前を歌っているのだそうだ。手は本手が「砧」で、替手は「秋」を表しているという。
ここんとこ練習しているうちに好きにはなってきてたんだけど、飽きてしまう個所やら、どうしてこういう展開なのかわからないところがいくつかあった。
でも解説を聞いて、色んな情景が頭に浮かんだら、全ての音に意味があることが納得できた。
聞く耳のある人達は、解説なんて読まなくても感じることができるんだろうな。
####音にそれぞれ意味があると思ったら、手が軽くなりました。意味をもって弾こうとすると、トチらない。譜面の先を見られるから、弾くのにも余裕ができる。
譜面を記号として追うのと、意味を理解して弾くという心の中のことなのに、技術的にすごく楽になるのです。
余分な力は、いらなくなる。不思議ですが、譜に追いかけられるのではなく、譜を追っていける。####
1997年6月19日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
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