1996年10月17日

1996年10月17日

いろんな曲をたくさんやらせて貰ってきたけど、とても出来そうも無いと思った曲が、少しずつ出来る様になったり、後で振り返ると、がんばったなと思える曲もあったりして。ずっと「やれば出来る」式でやって来た。だけど、例えば「かごめ」とか、例えば「流れ」の一筝とか、絶対弾けないだろうという曲が無数にある。
中根先生にお世辞を言われても、女史にちょこっと誉められても、彼女達はそういう高度な曲が弾けちゃってる。この差がどこにあるのか。どうしたらもしかしたらもう少し近づくことができるのか。絶対に近づくことのないままこの先過ごしていかなければいけないのか。それは諦めるしかないのか。自分はどこまで行きたいのか。どこまで行けるのか。
諦めるとしたら、どうやればいいのか。自分をどうなだめればいいのだろうか。
 ・・・・・・望みだけはわかっている。・・・・・・どうしても近づきたい。
それはわかってるんだけど、そう思ってることが、時に切なくなってくるんですよ。ネ!
やっぱり先生に付かなくちゃいけないのかな。曲毎に教わんなきゃだめかな。・・・・・・もう誰にも教われない気もする。何を言われてもなんか腹が立ちそうで。
自己流に弾くためには「才能」が必要になってくる。勿論「自己満足」なら、いつだってできるけど。

1996年10月15日

1996年10月15日

ずっと心の中の葛藤というか、メンタルな部分を書き続けてきたけど、心理的変化を起こすべく、物理的な理由があった訳で。
今一番思い出すのは、練習のときは勿論のこと、本番でもなんでも女史の準備及び後片付けのすばやいこと。初めは、ただ驚いてウロウロしていましたけど、いつも申し訳ないんですよ。私がお筝一面片付けるかどうかという頃に女史は全員の譜面立てまで片付け始めているんですよね。調弦もこっちが半分ぐらいの頃には女史は終わってていつも待たせてしまう。チューナーも買ったけど、それだって、使いこなすまで一苦労。
その、作業のスピードアップが、本番で周囲に迷惑を掛けないための基本なんですね。周りへの気配り。勉強になりました。鍛えられましたね。
 調弦にしても、現場でもたもたしないために、譜面に必要事項、特に転調がある場合は綿密に書き込みを入れるようにしました。
結局その対応が一番必要とされるのは、「一等星」のステージなのです。時によっては、お客様の前で調弦したり、お筝を取り替えたりしなくてはいけない事もあるのです(というか、殆どの場合、そうなんです)。そこで、間違いは許されない訳で。
「一等星」では更にメンタルな部分も鍛えられましたね。
こちらの方が絶対的に大きい変化なんだけど、初期の頃女史に言われたんですよ。「あなたに足りないのは、あと度胸だけだよ」と。言われたって簡単につくものじゃないけど、ギャラの金額ではなく、例え100円だって、自分の演奏にお金を払おうとする人がいるということに対する責任感。最初はそのことに押しつぶされそうになった。
しかし、引き受けた以上そこから逃げ出すことはできないと自覚したとき、それに本気で応えようと思うようになったんですね。
ギャラを貰ったことによって、ノーギャラの舞台に対しても真摯な気持ちで向かえるようになった気がするのです。
聴いてる人に、どんなに小さくてもいいから印象を残したいと思うようになったんです。今までは、できれば人に聴かれないようにと人前で弾いてるときでさえ思っていました。それが、今は一人でも多くの人の足を止められたら、と思うようになったのです。
だから、より納得できる演奏にしたいのです。
そして、悩みも増える訳です。

1996年9月27日

1996年9月27日

宮田耕八朗氏の曲を聴いている。
この人の曲は大人を感じさせるが、どんな曲も弾けそうな気がしてくる。しかし、美しく、かつ人に聴かせようと思ったら、どの曲も無理だなって思うのです。しかしまあ、この人の曲はどうしてこうも難しいんでしょうね。筝にしろ、尺八にしろ、手が回るもんじゃない気がします。

次は吉崎氏の「かごめ」・・・・・・ちょっと私には無理じゃないですか。

1996年9月20日

1996年9月20日

「弾き手がちょうどいいと思うときは、必ず音が短い。ちょっとしつこいかなと思うぐらいが聴き手に快い間合いになる。一つの音が消えるまで次の音は待ちなさい」とはプロの田嶋先生の言葉。
これは、「じょんがら変奏」をやってたとき、痛感した。
あっちこっちで、「これだ!」ってひそかに感じてるんだけど、自信が持てないために度胸がなく、それを音に反映できないでいるんですよ。「私が弾くんだから、お聴き!」ぐらいに思えって女史は言うんだけど、私としてはかなり気弱です。

 自分を信じなくちゃ。心で歌わなくちゃ。

1996年9月13日

1996年9月13日

先日女史とお茶しました。
水野利彦氏の講習会の話をしたら、女史やっぱ知ってて、しかも宮田耕八朗氏の講習会を受けたことがあるんだって。高校生のときで、師匠に言われて仕方なく行ったって言うんだけど、芸事に関してまるっきり育ちが違うんですよね。私なんて、そういう講習会があることすら知らないで来たし、知ったとしても田舎のこと。雲の上の話で、そんなとこに掛けるお金も無かっただろう。・・・・・・なんか寂しい筝人生送ちゃったなって感じ。
今、どうあがいても仕方ないのかな。
やっぱりさ、何か始めたら認められたいものね。「歳」を考えてしまいます。救われないなって。

無駄な野心かな。多分そうだな。・・・・・・悲しくなってきちゃった。

知らなきゃよかったこともあるね。知らなきゃ持たなかった欲。自分をどう静めていったらいいんでしょうか。練習しているときは楽しいけど。

「海の青さに」は、10日で暗譜。一ヶ月半でテープのスピードまで上げたけど、そのスピードコントロールが出来ないのは、自分のものになっていないからだと女史に言われました。

アメリカの大リーグに移籍した野茂選手が、登板するようになって一年ぐらい経った頃から、打たれると客席からブーイングの嵐が起き始めた。今まではお客様だった。だけど、「負けは許されない立場」に立ったということは、やっとメジャー入りを認められたんだと思ったというのです。わかります、とても。「きれいに弾けたわね」なんて、「あなたにしては」ってのが前にあるんですよ。「あの人のあの曲は好きじゃないわ」ぐらい言われて、初めて存在を認められたことになるんじゃないかと。勿論バッシングだけが命じゃないけど、バッシングしたくなるほど気にされるようじゃなきゃ、価値がない。というか存在すら認められないというか。ただ、バッシングに太刀打ちできるようじゃなきゃどうしようもないんだから、そこには腕と自信が必要なんだけど。