1996年9月13日

1996年9月13日

先日女史とお茶しました。
水野利彦氏の講習会の話をしたら、女史やっぱ知ってて、しかも宮田耕八朗氏の講習会を受けたことがあるんだって。高校生のときで、師匠に言われて仕方なく行ったって言うんだけど、芸事に関してまるっきり育ちが違うんですよね。私なんて、そういう講習会があることすら知らないで来たし、知ったとしても田舎のこと。雲の上の話で、そんなとこに掛けるお金も無かっただろう。・・・・・・なんか寂しい筝人生送ちゃったなって感じ。
今、どうあがいても仕方ないのかな。
やっぱりさ、何か始めたら認められたいものね。「歳」を考えてしまいます。救われないなって。

無駄な野心かな。多分そうだな。・・・・・・悲しくなってきちゃった。

知らなきゃよかったこともあるね。知らなきゃ持たなかった欲。自分をどう静めていったらいいんでしょうか。練習しているときは楽しいけど。

「海の青さに」は、10日で暗譜。一ヶ月半でテープのスピードまで上げたけど、そのスピードコントロールが出来ないのは、自分のものになっていないからだと女史に言われました。

アメリカの大リーグに移籍した野茂選手が、登板するようになって一年ぐらい経った頃から、打たれると客席からブーイングの嵐が起き始めた。今まではお客様だった。だけど、「負けは許されない立場」に立ったということは、やっとメジャー入りを認められたんだと思ったというのです。わかります、とても。「きれいに弾けたわね」なんて、「あなたにしては」ってのが前にあるんですよ。「あの人のあの曲は好きじゃないわ」ぐらい言われて、初めて存在を認められたことになるんじゃないかと。勿論バッシングだけが命じゃないけど、バッシングしたくなるほど気にされるようじゃなきゃ、価値がない。というか存在すら認められないというか。ただ、バッシングに太刀打ちできるようじゃなきゃどうしようもないんだから、そこには腕と自信が必要なんだけど。