1999年7月19日

技術のない私がいて、技術のある人たちがいる。
技術のある人が「聞く人に受ける弾き方」を語った。
技術のある人が「音楽を音で作ろうとしている」と師匠に言われたという。

考えてしまう。そこに心は存在するのだろうか。必要ないのだろうか。

私はある意味基本をすっ飛ばして、曲そのものからテクニックを拾って走り続けた結果肉体労働に夢中になっていた。技術が身についていない間、なにか言われても口答えもできなかった。「心」を置き去りにせざるを得なかった。

でも、今私は「心」を拾いに戻ってきた気がする。

出会った技術を持っている人たちからもらった財産は計り知れないけれど、今一度原点に帰った気がする。

1999年7月16日

吉崎克彦「筝入門」の中の「鸚鵡」という曲を3回弾いたら上手になると邦楽ジャーナルに書いてあったので、当然のことながら買いました。17絃入門もあったので、それも買って、ついでに水野利彦「三味線入門」と、それぞれのカセットも買ったら、合計8000円ぐらいになってしまった。

入門書の練習曲をやると、特に17絃の譜読みが楽になる。
音色の違いもよくわかる。
吉崎克彦氏は、この練習を1時間やって、後の短い時間曲の練習をするのだそうだ。訓練した技術に曲をのせていく感じらしい。
私は不安だから、やっぱり曲をやる時間のほうが長いけど、それでも練習曲は腕の角度とかをキープして速度を保つのは非常に厳しく、やはり訓練になる気がする。

今、なにかが起こっているという思いとは裏腹というか、関係なく、やはり練習をしていなければ弾けなくなります。
曲だけやっていると、基本があいまいだから、自分が楽なほうへ体勢が逃げてしまって、結局やりにくい曲が出てくる。
入門書の練習曲はあらゆる奏法がはいっているから、一通り弾けるようにならなくちゃいけないと思う。

1999年7月15日

ゆうべMDで’96に演奏した「躍る」(石垣征山)を聴いた。
3年前のものだけど、急にめちゃめちゃ子供の音に聞こえた。ずっと気づいていなかった。
とりあえずは正確に弾けてて、ボリューム感もあって、半ば「カンペキ!」ぐらいに思ってた。ゆうべまで。
しかし、それは突然聞こえた。
まるっきり子供の音なのだ。今年の私の音はガラリと変わっている。大人になっている。それだって、あれはすくい爪のオンパレードだから、ほんの4小節。へたするとたった一音。それだけなんだけど、ものすごく違うということがわかった。
今朝になったらそれもあいまいになってしまったけど、ゆうべ私の耳には「聞こえない音」が「聞こえ」た。

今私は感謝の気持ちで満たされている。たくさんの人に支えられ、見つめられ、育てられている気がする。

###ほめられて育った子は感謝することを知ります###  -インディアンの教えー

まさに今そこにいる気がする。
ずっと中根先生がいた。阿川先生がいた。そのことに感謝する。
その気持ちを音にできたらいいなと思う。 探してた音ってこれじゃないかと思う。
今まで腕が追いつかないから肉体労働をしてたんじゃないかな。心で弾いていなかった。聞く人にはわかってしまう。
なんか私、変われるかもしれない。見えないものが見えた気がする。

今年弾いた「躍る」のメロディーのところで私の音、歌声に聞こえた。
私、歌ってた。私変わり始めている。

1999年7月12日

昨日は田嶋門下の発表会。

時村さんが20絃で三木稔氏の「秋の曲」を演奏した。実によかった。楽しさが伝わってくる。

中根先生の「幻の柱」は相変わらずクリスタルで。
圧巻は「嵯峨の秋」。すばらしいコンビネーション。眠くならない。聞いていてワクワクしてくる。

しかし、です。田嶋先生の「山千禽(やまちどり)」
涙が出た。なんか第三の涙という気がした。頭の中空っぽになってるのにまさにあふれ出たという感じ。それも入魂の一滴という感覚。宇宙規模の距離を感じた。
敵はうんと遠くにおられます。

しかしその宇宙規模の距離の人がわざわざ降りてきて、そして私に「お筝いいですねぇ」と、まさに顔をみるたびって感じで言ってくれた訳で。すごくないですか?私。

時村さんは20絃をやるのは怖かったという。だけどやらなければなにも始まらないんだと決心して手をつけたのが1回目のリハーサルの1週間前だというのだ。その彼女から受けるパワーは私にとって宝物だと思う。
中根先生もあれだけキラキラ輝く人なのに、いつも謙虚でいられるのもある種のパワーなんじゃないだろうか。みんな凄いですよ。

***「曠野にて」にて***

演奏前にUさんに「4人で演奏するんだよ」(4パートなので)と釘をさされた。
終了後「初めの4分の1は尺八をほったらかしだった」と叱られた。
???!!!なに?
いいえ。やってます。最初のあたり、緊張していて、「自分が」「失敗しないこと」ばかり気にしていた。
Ⅰ筝で、リードしなくては。なんて。
途中で、「あ、尺八ずれてる!」って、やっと意識をつないでいた。

それじゃ遅い。それじゃアンサンブルじゃない。思いやりのない演奏だ。緊張してたなんて、ぜんぜん言い訳にならない。
怖い。心の中が全部さらけ出される。

 

 

1999年7月6日

昨日練習していたら、急にお筝の音が軽くなった。
嘘みたいに。音がどこまでも伸びて、ハーモニックスが、ピーン!!って。
気づいたら、私の手も魔法にかかったかと思うくらい軽やかで。本当に気立てのよい子をもらった気がした。こんなこと急に起こることなのかどうか、本当にわからないけど、突然きた。誰かわかってくれるんだろうか。

みんないい楽器はすぐにはいい音出してくれないというので、弾きこむしかないんだなとは思っていたけど、それは仕方ないとは思っていたけど、とにかく突然、窓全開なのだ。
泣けるくらいいい音出て。 生き物だ、楽器は。

定期演奏会のボロボロは、このせいか?!