1999年7月12日
昨日は田嶋門下の発表会。
時村さんが20絃で三木稔氏の「秋の曲」を演奏した。実によかった。楽しさが伝わってくる。
中根先生の「幻の柱」は相変わらずクリスタルで。
圧巻は「嵯峨の秋」。すばらしいコンビネーション。眠くならない。聞いていてワクワクしてくる。
しかし、です。田嶋先生の「山千禽(やまちどり)」
涙が出た。なんか第三の涙という気がした。頭の中空っぽになってるのにまさにあふれ出たという感じ。それも入魂の一滴という感覚。宇宙規模の距離を感じた。
敵はうんと遠くにおられます。
しかしその宇宙規模の距離の人がわざわざ降りてきて、そして私に「お筝いいですねぇ」と、まさに顔をみるたびって感じで言ってくれた訳で。すごくないですか?私。
時村さんは20絃をやるのは怖かったという。だけどやらなければなにも始まらないんだと決心して手をつけたのが1回目のリハーサルの1週間前だというのだ。その彼女から受けるパワーは私にとって宝物だと思う。
中根先生もあれだけキラキラ輝く人なのに、いつも謙虚でいられるのもある種のパワーなんじゃないだろうか。みんな凄いですよ。
***「曠野にて」にて***
演奏前にUさんに「4人で演奏するんだよ」(4パートなので)と釘をさされた。
終了後「初めの4分の1は尺八をほったらかしだった」と叱られた。
???!!!なに?
いいえ。やってます。最初のあたり、緊張していて、「自分が」「失敗しないこと」ばかり気にしていた。
Ⅰ筝で、リードしなくては。なんて。
途中で、「あ、尺八ずれてる!」って、やっと意識をつないでいた。
それじゃ遅い。それじゃアンサンブルじゃない。思いやりのない演奏だ。緊張してたなんて、ぜんぜん言い訳にならない。
怖い。心の中が全部さらけ出される。
1999年7月12日 :箏日記↓, 第7章「曠野にて」明日の夢で遊ぼう