2001年8月17日

定期演奏会のMD聞いてて自分の足りないものがまた見えた。

中根先生の音や演奏があまりにも大人で、音楽的で、私の幼稚さがあからさまになってむしろ聞きたくないほど落ち込む。

すごく早口でしゃべっているという感じ。
ぞんざいではないけれど、早口。
手馴れた雰囲気というのとも違う。

要するに、幼稚な早口ということなのかな。

心の中からわきあがる味がない。
いわば、頭で考えた味?
曲にもよると思うけど、結局雑なのかな。

2001年6月8日

サッカーの話

誰かがボールを持ってゴールにむかって走っているとき、そこからどんなに遠くにいる人も全力で走っている。
ストレッチをやっている人も、実は相手へのけん制を常にしている。
ゴールキーパーも、いつでも来い。任せろ。と、チームに常に安心を与えている。

これがチームなんだって。

それがアンサンブルだよね。
一人でやっているんじゃないんだと、あらためて自分に言い聞かせたい。

2001年3月2日

矢部氏の希望で「春の海」を弾くことになってしまった。

「私は、なにもできていない。なぜならこの曲が弾けないから」と思う曲の一曲だった。
私には大きすぎる曲だった。完璧じゃないならやらないほうがいいと決めていた。
否応なしに弾かなければいけなくなったのだが、客観的にみたら「だめだ」曲のひとつに今挑戦しようとしているわけで。

これはすごいことなんじゃないだろうか。
いつのまにこんな挑戦ができる度胸がついたんだろうか。

先生のところに通っていたのが通算7年。
現代曲を始めて6年半。
私の筝人生、正味13年半だ。

こういうチャンスがなかったら一生弾こうとしない曲だった。
自分をあきらめたままになる曲だった。

とにかく、悩みつつ練習を重ねた。
今日、急に音にエコーがかかったようになった。
またしても不思議なのだが、透明感のある音に自分でしびれた。
あきらめていた曲なのに、いつのまにか、とりあえず弾けるようになっている。
勉強って何だろう。どうして力ってつくんだろう。

みんなスラスラとできたのかもしれないけど、私は自分で自分に待ったをかけてきた。その壁をひとつ破った。
これは喜んでいいよね。

2000年11月22日(続き)

17日はわがままコンサート。
ゲストが吉崎克彦氏と田辺頌山氏だったもんで、客の入りはすごかった。

当日田嶋先生の「湘南の春」という演奏会で「四季の眺」に出ないかとのお誘いを受けた。

2000年11月22日

このごろ、書くのを怠けがちだ。
音楽以外の悩みが多くて自分でも少々嫌になっている。

8日は田嶋先生のリサイタルの受付。
乙女文楽という一人文楽を見た。すばらしかった。

後継者がいなくて苦労しているらしい。
人形の衣装も全部一人で作るのだそうだ。
舞台を見ていると、人形と使い手の顔がダブって、今どっちが踊っているのか、わからなくなる瞬間があった。

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無理やり打ち上げに連れて行かれた。
プロにはプロの世界があるんだと思った。
でも、話の内容は音楽に関してプロもアマも同じだと思った。
向こうはこっちをアマのぺーぺーだと思って、話を振ってはくれないけど、気持ちの高まりは同じだった。

でも、場違いだった。
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