1996年12月10日

1996年12月10日

ここのところ、お休みが多くてつまんない。
同時に回りの人たちへの不満が出てきている。
なんか、みんな真剣に取り組んでるんだろうかなんて疑問がわいてきて。
人のことを言える立場ではないけど、アンサンブルを組んでるのに、それぞれ勝手に演奏しているグループとか、終わったときに首をひねって帰る人とか。

1996年12月5日

1996年12月5日

昨日は塚山。
どの社中も都合がつかないというので、絃方は私一人の参加となった。「子供のためのラプソディー、華紋、花と風の物語」に加え、「春の曲」で。
勿論全部合奏曲なので、出来る限り17絃と、自分以外のパートに目を通して行ったが、そう簡単ではなかった。どの曲も速いし、細かいので、みんなしてフーフー言いながら、いつもより更に疲れた。
しかし、二年前の私では考えられないことだけど、何だかんだ言いながらも、3時間ちゃんと練習になった。
人間って、変われるものなんだと思う。

1996年12月4日 「観梅」

1996年12月4日 「観梅」

「わらべ唄、子供のためのラプソディー、荒城の月、華紋、
谺の唄、花と風の物語、鶴鳴調」
観梅の候補曲です。

1996年12月2日

1996年12月2日

紅葉、終わりました。

結局錦秋は女史に言われたとおりにすることと、もう一つどうにも間に合わないところ、一音だけ左手を入れることにしましたが、裏で練習していたら、女史がそれでいいよと声をかけてくれて、かなり緊張が解けました。
本番は一、二箇所トチリかけたけど、震えることもなく、自分の思い通りに弾けました。評価はまた別のこととして。
ソロのところもすごく心配だったけど、全然上がっていないんです。本番当日まで、ずっと「一筝」のプレッシャーがかかってたけど、相方にまるっきり心配がないので、のびのび弾けて、すごく気持ちよかった。
ソロの間をたっぷり、焦らずに取れたのがなにより嬉しい。みんなが待っていると思うと、つい走り勝ちなんだけど、この音はこの余韻まで残したいと思っているところを、私なりにではあるけど、きちんと残せたと思う。

1996年11月28日

1996年11月28日

本当に光陰は矢の如く過ぎ去って、もう28日です。
「錦秋」ができないまま、昨日は塚山です。
三村氏は更にスピードを上げておりました。こちらは奥歯ガタガタになりながら、必死です。女史がシャシャテツの「シャ」を一つにしてみたら?とアドバイス。それには気づかなかったし、そういう風にやるとなんとか出来るのですが、気持ち的にはなんかそれこそ歯の抜けた感じで。でも明後日の本番、どちらが恥をかかずに済むのか。
三村氏の熱意に直面してる感じ。私が目一杯頑張ったって三村氏や女史にとっては蚊の鳴くようなものだけど、彼らのそれは私にとってライオンの雄たけびぐらいおっかないですよ。

「錦秋」、女史に言わせると、師範に成り立ての人が手がけるようなランクらしいんだけど、今の私、これ一曲弾くともうヘトヘトなんですよね。パワー全開で、もう残りがない。筋力トレーニングやらなきゃって。

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