1996年7月10日

1996年7月10日

お筝の奥の深さを噛み締めている今日このごろです。
今一番ひっかかっているのは「海の青さに」で、眠っていてもうなされます。私には無理だと思う。だけど、高本氏に「無理だよ」と言われたら、腹が立って。挑戦するのは自由だから・・・・・・
上手になりたいな。
継続が最も困難だなあと思います。
漫然とではなく、いつも意識を持って心を燃やしつづけるというのは、やはり大変です。
ともすれば気弱になる私は「厳しい試練の時」をしょっちゅう迎えることになる訳です。
昨日「虫の武蔵野」とか「比良」とか「初鶯」とかやってみたら、全然できなかった。やっぱり宮城曲は難しいです。
宮城は弾けない。現代曲もものにならない。ヘナヘナ。
へなちょこってどういう意味かな。
グ、グ、グ、苦しいゾー。

1996年7月9日

1996年7月9日

「雪人形の夢、花と風の物語、子供のためのラプソディー(3、4章)」なんとか形になりましたけど、昨日「海の青さに」をと。
今何十回も聴いてるんだけど、チョー難しいんです。これまでとはまた違う難しさ。AとBはゆっくりなんだけど、尺八と17絃に合わせるのが難しそうだし、Cはあまりの速さに追いつくのかどうか。なんか先が見えないって感じ。
「花と風の物語」中指の訓練になるねって話してたところ、何度もやってたら、本当に中指を通して肩まで痛くなって、こんなんじゃ舞台で一曲丸ごと弾けないんじゃないかと思ってた。ところが、更にやっているうちにある瞬間から全然力がいらなくなってしまった。エッ?とか思って自分の手を見たら、フォームが変わってしまってるんですね。理論的に理由はあるんだと思うけど、不思議です。急に楽になったんです。
プレッシャーをかけると燃えてやるから、と言われた「海の青さに」なんですが、ちょっとこのプレッシャー、燃えるにはあまりに大きくて、ライターのオイル足りません。

1996年7月4日

1996年7月4日

三村氏が定期演奏会のときのテープをくれました。
自分のアラが良く見える。ところどころ、ちょっといい音出せてるところもあるんだけど、全体に音に余裕がなくて、山谷さんの言うところの音が「立って」いないんです。一拍なり、ワンフレーズなりをたっぷり弾けていないんですよね。曲が痩せ細ってて。
小田女史の音は、エコーでも掛かってるかと思うほどスーっと遠くへこだましていきます。
錦秋をやってて再確認したんだけど、指がへなへなしてて、特に人差し指が型を決めていられないんですワ。だからここぞと言う時音色の大きさというか、強弱が違って聞こえて、意味が変わってしまうんですよ。
それと、すくい爪を勘違いしているみたいで、プロのテープとは違って、超ダサイ。
自分ではすごく丁寧に弾いていたつもりでもプツプツ切れて聞こえたり。強弱もつけた積もりなのに、メリハリがあまりない。実際弾いている時はすごく速くなっちゃたかなと思っててもテープで聴くとそうでもなかったり。
トレモロで音が移動する時の繋ぎが目立ってしまう。そんなこと、あんなこと、うまくやれる人はやれる。なんとかしなきゃ。

1996年7月3日

1996年7月3日

 「華紋」く、く、苦しいでぇす!
前半の一番細かいところに引っかかって半べそ。
しかし、夕方になって、急にパカンと抜けました。ウッシッシ。できたモン。いやあ、長い道程でした。今、死ぬほど腕が痛いです。やっぱじょんがら、錦秋、華紋の連チャン4時間はきついかも。
しかしホンマ、ウレシイワ。努力することですとか、信じることですとか書いて来たけど、弾いている時の自分って理屈飛んじゃってる。それも嬉しいかもしれない。
みんなこうやって、一つづつ開発して来たんだろうな。やっぱり無条件でコツは教えたくないよな。そこへ行き着くまでって苦しいモン。
ほんとほんと、今、至福の喜びってやつですか?

1996年7月2日

1996年7月2日

くらら能楽堂から丁度3年。なにが丁度だかわかんないけど。
仕事してた時、最低3年はやらなければ、仕事も人も理解し合うことは出来ないと思ってがんばった。
しかし、今日までの3年は少し違うな。夢中で走り続けた3年だった。期限はつけなかったけど、敢えてつけるとすれば、「死ぬまで」かな。
走らせてくれた三曲会、三村氏、小田女史に感謝。
いつもいつも「今」が大事になっていた。「この曲」が大事だった。自分と戦えた気がする。自分の限界を少し伸ばせた気がする。
小田女史は私より10歳下。逆算したら、私は彼女の3倍の速度で進歩しなければ、何も出来ないまま死んじゃうと思った。だから、女史の5倍は練習しなくちゃって。
幸い、時間の余裕だけは持てる立場になった。全てがチャンスだったんだと思う。10年間、洗濯物を干しながら、「埋もれたる天才、ここにあり!」と叫び続けたあの頃。どこかに私を必要としてくれる人がいることを、必要とされる場があることを望みつづけた。
これをやるために生まれてきたんだ、と思えるものが欲しかった。
今、私が必要とされているかどうかは疑問があるけど、私自身の方に必要なものができた。
自分を試せるのだ。自分の力を、心を、限界を試せる物ができた。とても素敵です。
……がむしゃら、無我夢中、一生懸命、真実一路、真摯、たぎる心、全力疾走、無心、情熱……どれもこれも人に言ったら「まだ青春やってんのか」って言われるかもしれないけど、好きな姿勢です。
自分に自信が持てなくて、全部避けて来た姿勢だけど。今更みたいだけど、やっぱり私一生青春やっていたいです。
ぼんやりと、ふわふわと生きていこうと決心した日もあった。中庸になろうと思った日もあった。
だけどそれじゃ命もったいない。燃やして生きていくんじゃなきゃ、私かわいそうだ。
 思い続けていれば、必ず願いは叶う。