1996年2月29日

1996年2月29日

深~いスランプはまだ続いております。
昨夜は、BUDDYというお店で永子さんとライブを聴いて来ました。
三味線ライブというので興味を持ったのですが、半プロか半アマか、デビュー目指す若者か、三味線で何をしようというのか。聴かせてもらおうじゃないのと緊張してんのはこっちなのに、強気で行った。
PM9:05チューニングが始まった。BGMを消して、スポットつけて、弾き始める。エッ?なんと、ゆっくり弾いているその曲は「浦島太郎」なのでして。そこそこメロディーが終わったあたりで自己紹介。張りのある良く通る声。
と思ったら、いきなりシンセサイザーのスイッチオン。ドラムです。そこからは、もうドツボ。語りあり、歌あり。一体何なんだコイツは、と思ったらプロの浪曲師だったのですよ。  ハー?
すんげえ!
口上の素晴らしさ、三味線の迫力と、たおやかさ。ウィットに富んだ語り。更には客の引き付け方。究極、店内は笑いの渦の中で完璧に同化してしまいました。私とて、涙を流して笑いつつ、感動の嵐でした。
無知を恥じるばかりではありますが、その人は、今をときめく知る人ぞ知る、その名も国本武春氏だったのであります。
もしかして私のやるべき物は、お筝じゃないんじゃないかと思ってしまうほどの感動でした。少しお話が出来たのですが、浪曲の前はバンドで洋物をやっていたと聞いては、もう、やっぱりそういうものが中になくちゃって。
またまた考え込んでしまいましたです。

1996年2月20日

1996年2月20日

18日の観梅会は、雪のため中止。ゲッって感じですが、中止でした。

####急な話ですが、今蟻地獄状態。
なんでお筝なんて弾いているんだろうって。
そんな事考える理由も分かっているし、それだって、ここ数日のことなんだけど。
とてもとてもおこがましい話なんだけど、なんか自分は芽が出なそうな気がしたのです。
周りの人達が、「頑張ってるね」「凄いね」「どうしてそんなに一生懸命になれるの?」って言ってくれてたことを、少し勘違いして解釈してた気がするんですね。
勿論初めは、こんな資格も持たないまだまだ未熟な私でも、頑張る気持ちだけはあるんだぞ、前に進もうとしているんだぞ、だから、自分の腕はここまでだ、なんて決めて諦めちゃっている人達、一緒に頑張ろうよ、なんてさ。殊勝ぶっていたんですよね。
殊勝だったんじゃない。殊勝ぶってただけなんだって、ここんとこ、気付いてしまったんですよ。
大体、「まだまだ未熟」ってあたりが、既におこがましい。
「まだまだ」ってことは、これから上手になるって事だよ。無意識にそういう高飛車な心根が初めからあったんですね、こりゃ。そしてその「がんばり」みたいな物を、みんなに見せ付けて、「すごいね」とか言わせて、そしてそして、誉められた気でいた。上手だと誉められた気でいた。
だけど、実際はどうなのよ。いつもいつもメインの人の後ろで介添いをして、生かさず殺さずの音を出して。一人じゃ何にも出来ないくせして、ちっとは目立ってるかな、なんて思い始めていた。ところが、よくよく考えてみると、私と一緒に演奏したいって人もいなければ、いい音出してるねと言われもしない訳だよ。
どういうこっちゃ。
どうなってんだよ。みんなどう思ってたんだよ。どう思ってるんだよ。
あれ?ってなもんですよね。もしかして、思い違い?思いっきり勘違い?とハラハラ分かったんですね。
中根先生の「互角よ」も宮川氏の「自分の音出してるよ」も、実は、やっとつかまり立ちした赤ん坊に、「あんよは上手」状態だったんですよね。
頭の一方で、全く初歩だということは分かっているんだけど、他方というか、自分の中の自分が、私は上手いと思っちゃっているんですよ。だから、なんか色々腹が立つ。目立ちたがりの自分がムクムク起き上がって。
今のところ、「こんな気持ちでいるからこそ芽がでないんだよ」って思えているけど、恐いよ、このままだと。
張り子の天狗…なんてあるのかどうか知らないけど、そんな感じ。水でもかけられたら、そんな鼻なんていっぺんで溶けて落ちてしまうのに、やたらどんどん高くなっていいきそうで。
あぶなそうなところからは逃げそうで。
三村氏から電話で18日中止になって気が抜けていないか。次の曲好きな物選んで。と励ましも含めた話をしてもらって、今筝のテープを流して初心に帰ろうとしているけど……無心になりたいです。なれる人間になりたいです。

1996年2月15日

1996年2月15日

観梅に向けて、最後の詰めに入っています。
今回のネックは…色々あるけど…特に「じょんがら」です。うるさい演奏にならないかと、ジレンマに陥っていますが、今日弾いてみると、なんとも全く新鮮な感覚に囚われました。
初めて自分の弾いているメロディーが分かったのです。これだけ何度も練習しているのに、急に自分のパートがはっきりと、しかも重要だと、体で、多分頭でなく、耳で見えたという感じなのです。
出来る人は初めから分かるのかもしれないから、大きなことは言えないのですが、何か薄紙を一枚剥がしたような、曲がスーっと浮き上がる感じ。
それが見えたら、いきなり手が軽くなった気がするのです。一体これが何なのか分からないのだけど、力が抜けていく感覚があります。
ビブラートの付け方を教わってから、どの曲に対しても少し感じ方の変化があるけど、「じょんがら」に関しては飛躍的に違ってしまいました。
なにが、どう身に付くのかわからないけど、またしても夢中にさせてくれています。
音楽よ、ありがとう。

1996年1月31日

1996年1月31日

年が明けました。
4日、初仕事。賀詞交換会でのBGM。央さんが買ってくれた着物で。
誰も聴いていなくて、しかもみんなべらべらお喋りしている中での演奏の難しさを実感。
私は環境に弱いというか、真っ直ぐに見詰められてもあがってしまうし、誰も聴いていないと緊張感ゼロでメタメタ。自分の世界へわき目も振らず飛び込めず、うろうろしている。
結局自信がないんだろうな。

次回は2月18日の観梅会になります。

浜さんのグループに手伝いで出ます。「乱れ」、「都踊り」。
「乱れ」、なんとなく今日、自分の「乱れ」になった気がしました。今まで如何にいい加減な練習しかしていなかったかも実感するけど、最近のように目まぐるしく、色んなジャンルの曲を、しかも超特急で覚えて、弾かされたことも役に立っていると思う。ありとあらゆる場面に出くわす訳です。思いもよらない手法とか、音の展開。初めは戸惑ってばかりいたけど、最近では、なんでもありなんだと思うようになっています。
だから、既成概念に囚われていたのでは、とても現代曲には飛びついていけません。
その経験を踏まえた上で、古曲なり、宮城曲を見ると、全く違う感覚で捉える事が出来るようになって来たのです。古曲や宮城曲はこうなっているんだ。と改めて見直している感じです。
「春の夜」も「遠砧」も新たな感覚で、自分の「春の夜」、「遠砧」になって来つつある気がするのです。
発見するという事が、これほど人をワクワクさせるものだとは、本当には分かっていなかった気がしています。
発見するから、もっともっと弾きたくなるし、もっともっと知りたくなるのです。
今、飽きて、弾きたくない曲がありません。
それぞれの曲が不完全だから、毎回何か教えられます。まだまだ進歩はしていないけど、変化は、しつつあります

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