「錦秋、雪人形の夢」1996年11月21日 紅葉の会

「錦秋、雪人形の夢」

1996年11月21日 紅葉の会

「錦秋」ができない。16日の合同練習で、三村氏が全く速度を緩めてくれなかった。
「やっぱりこのくらいの方がのるよ」と。「ついてこれたよ」とか言ってたけど、目標のスピードを低いところに置いてしまっていたので、全然だめなんですよ。なんとか30日までにはスピードアップしたいです。
一筝なんか選んだら、それはそれで手厳しいです。やっぱりちょっと怖いです。
「雪人形の夢」も入れることにしたのですが、テープと合わせていないので、合同練習では不安が残りました。中根先生が聴いていらして、しかも途中でどこかへ去っていってしまって。実は前回は女史と三村氏と中根先生の三人でやったらしいんです。もう震えてしまいますよ。光陰矢の如しですよね、30日って言ったって。

1996年11月18日

1996年11月18日

昨日は横須賀の自由コンサートを聴きに行って来た。 女史は山谷先生と二人で「哀歌」。中根先生は「南風」。

「南風」という曲は楽曲としての面白みがあった。素人受けというにはレベルが高いけど、ギターをやる人の曲のせいか、リズムが細かく、面白い。中根先生も圧巻。

尺八も17絃もすばらしかった。しかし、何よりも驚いたのは、三絃。もう独壇場である。しゃれたリズム感。音程の確かさ。音色に全く余分なものがないこと。とにかくすごい。「お筝をやっています」と言えなくなりました。楽器に呑まれていないんですね。弾いてる姿も格好いいんです。まず余裕がある。
女史の「哀歌」は、ちょっと抑えすぎてて彼女らしくなく、残念だった。

1996年10月30日

1996年10月30日

 マコトセンセイガナクナリマシタ。 10月10日夜。

支えを失いました。いつか先生に私のお筝を聴いてもらいたかった。

 今の世の中 眠りがなによりの栄養です
                  深尾須磨子

 先生、栄養補給にお出かけですか。
 ときどきは戻ってらしてください。

高校一年、声楽クラブで「愛」を理解できる声で歌いなさいと言われ、悩みました。
まだわかっていない気がするけど、人の痛みは理解できる人間になりたいです。

そういえば、信先生が音楽を志したのは、大学二年の時。19か20歳。そこからピアノを習い始めて、音楽の教師になった。中根先生もやはり19歳でお筝を始めたらしく・・・・・・偉大な人たちと、私は出会えてるんだ。

 心を見失わずに。心を捨てずに  生ききらねば。

1996年10月17日

1996年10月17日

いろんな曲をたくさんやらせて貰ってきたけど、とても出来そうも無いと思った曲が、少しずつ出来る様になったり、後で振り返ると、がんばったなと思える曲もあったりして。ずっと「やれば出来る」式でやって来た。だけど、例えば「かごめ」とか、例えば「流れ」の一筝とか、絶対弾けないだろうという曲が無数にある。
中根先生にお世辞を言われても、女史にちょこっと誉められても、彼女達はそういう高度な曲が弾けちゃってる。この差がどこにあるのか。どうしたらもしかしたらもう少し近づくことができるのか。絶対に近づくことのないままこの先過ごしていかなければいけないのか。それは諦めるしかないのか。自分はどこまで行きたいのか。どこまで行けるのか。
諦めるとしたら、どうやればいいのか。自分をどうなだめればいいのだろうか。
 ・・・・・・望みだけはわかっている。・・・・・・どうしても近づきたい。
それはわかってるんだけど、そう思ってることが、時に切なくなってくるんですよ。ネ!
やっぱり先生に付かなくちゃいけないのかな。曲毎に教わんなきゃだめかな。・・・・・・もう誰にも教われない気もする。何を言われてもなんか腹が立ちそうで。
自己流に弾くためには「才能」が必要になってくる。勿論「自己満足」なら、いつだってできるけど。

1996年10月15日

1996年10月15日

ずっと心の中の葛藤というか、メンタルな部分を書き続けてきたけど、心理的変化を起こすべく、物理的な理由があった訳で。
今一番思い出すのは、練習のときは勿論のこと、本番でもなんでも女史の準備及び後片付けのすばやいこと。初めは、ただ驚いてウロウロしていましたけど、いつも申し訳ないんですよ。私がお筝一面片付けるかどうかという頃に女史は全員の譜面立てまで片付け始めているんですよね。調弦もこっちが半分ぐらいの頃には女史は終わってていつも待たせてしまう。チューナーも買ったけど、それだって、使いこなすまで一苦労。
その、作業のスピードアップが、本番で周囲に迷惑を掛けないための基本なんですね。周りへの気配り。勉強になりました。鍛えられましたね。
 調弦にしても、現場でもたもたしないために、譜面に必要事項、特に転調がある場合は綿密に書き込みを入れるようにしました。
結局その対応が一番必要とされるのは、「一等星」のステージなのです。時によっては、お客様の前で調弦したり、お筝を取り替えたりしなくてはいけない事もあるのです(というか、殆どの場合、そうなんです)。そこで、間違いは許されない訳で。
「一等星」では更にメンタルな部分も鍛えられましたね。
こちらの方が絶対的に大きい変化なんだけど、初期の頃女史に言われたんですよ。「あなたに足りないのは、あと度胸だけだよ」と。言われたって簡単につくものじゃないけど、ギャラの金額ではなく、例え100円だって、自分の演奏にお金を払おうとする人がいるということに対する責任感。最初はそのことに押しつぶされそうになった。
しかし、引き受けた以上そこから逃げ出すことはできないと自覚したとき、それに本気で応えようと思うようになったんですね。
ギャラを貰ったことによって、ノーギャラの舞台に対しても真摯な気持ちで向かえるようになった気がするのです。
聴いてる人に、どんなに小さくてもいいから印象を残したいと思うようになったんです。今までは、できれば人に聴かれないようにと人前で弾いてるときでさえ思っていました。それが、今は一人でも多くの人の足を止められたら、と思うようになったのです。
だから、より納得できる演奏にしたいのです。
そして、悩みも増える訳です。