もっと新しい世界
昨2011年の締めくくりは、お友達の卒業した高校の同窓会みたいな会での演奏でした。
九州宮崎県都城市の伝統ある高校で、そこの卒業生で運営している会だそうです。
80代の方がいるかと思えば、大学生もいて、年齢幅が広い集まりにびっくりしました。
ちょっぴりアクシデントもありましたが、事前のシュミレーションが功を奏してなんとか無事に乗り切りました。
当日は皆さん大いに喜んでくださって、お友達もほっと胸をなでおろしたみたいです。
私もいい締めくくりになりました。
ってなわけで、12月に入ると、もうやることもなく。ヒマーーーー!。
年賀状なんて、投函締め切りのずっと前に出来ちゃって。御節の献立も、早々と決まってしまって、パソコンのゲームにも飽きちゃって。
これではいけないと、手芸屋さんに行って、刺繍やら何やらのキットを購入。
暮れに向かい、針仕事をすることにしました。
2011年12月10日
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2011年11月、初体験な場所でお筝を弾いてきましたよ~。
そこは、コスプレの撮影会という、私的には「禁断」の場所でした。
もちろん私がコスプレしたわけではありゃあせんのでご心配なく。
なんせ、コスプレしてる動く絵のような人たちをあんなに間近で見たことはなく。その完璧な美しさは絵以上でした。
会えたのは、全員女の子でしたが、男装している子は特にカッコいいんです。
あ”-!あの細く白い腕、折れてしまいそうな、華奢な腰、脚・・・・・あ、あ、あ。
感動的な初体験ですよ。
なぜその場所でお筝を弾くことになったのかは、とっても長ーいいきさつなので、省略します。
ただ、行って見て感じたのは、彼らには「絵」はあるけど、「音」がないってこと。
とにかく静かなのです。静寂といってもいい。
たぶん、その日その場での「スター」がいて、それはとても神聖なもので、キャーキャー騒ぐ類のものじゃないんじゃないかと思います。
彼らの内なるものは大いに盛り上がっているんだろうけど、飽くまでも音はないのです。
当日は雨模様のため、演奏場所を屋内に変更したので、撮影会の中、「なにげなく音楽が流れている」的な目的は果たせなかったのですが、私としては、見たこともないアニメのテーマソングとかも弾くわけで、そりゃぁ新鮮でした。
宇宙的に未知の世界ではありました。
2011年11月10日
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利根君の四十九日の法要も済みました。
ご仏前にあったおりんに驚かされました。
まず、色が金色なのです。
んで、形が、どちらかというといびつ?(失礼)っていうか、個性のある味わい深い形なんです。いままで見たこともない美しいおりんでした。
叩くと、その音が「永遠か?」と思うほど長く長く延びます。
それも、実に温かく、優しく、豊かな音色なのです。
まったくもって「利根君の音だ」というか、「利根君そのもの」じゃないかと思ってしまいます。とても感動しました。
実は、なんとそれは、明珍のおりんだったのです。
明珍作ですから、当然ひとつとして同じ形のものはないと思うのですが、それぞれにそれぞれの人のお手元で優しくささやいているんだろうと思っています。
私はというと、これまたいまだ行方が定まりません。
日々の生活にゆらゆら流されながら。
って感じのなか、17絃を譲っていただきました。
双方とも思い入れがある楽器なので、大切にします。
というわけで、我が家に新しい子が増えましたので、ゆたんと、筝袋を作りました。
ホントに久々です。今回は頑丈にと思って、帯をほどいて作ったので、着物地で作るのとは違い、生地が硬く、その上17絃用なため、とにかくデカイ!
また筝袋は今まで作っていないため、寸法採りも大変でした。
17絃の大きさの筝袋となると、全通柄の帯が2本必要になります。
もちろん全部使うわけではないですが、必要です。
単純にくるむ形にしましたが、包んでみると、帯地のせいか、かなりゴージャスになりました。
2011年10月3日
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9月21日、田嶋先生のところに行ってきました。
当日は台風が来てて、大荒れの天候でした。
またしても都市圏は交通がマヒ。帰宅難民続出。
娘の同僚も帰宅できず、2人我が家に宿泊。
そんな中、「長靴にカッパ」的な、絶対知り合いに出会いたくない格好で鶴屋町まで行って参りました。
先生もちょっと苦戦していらしたけど、私は全体を通して力みすぎというアドバイスを受けました。
****燃え盛る火の中にいてはいけない。それをそばで見ている自分でいること。****
客観性の欠如ってことかな。
「一生懸命」だったのに。・・・・・って、?? これが一番だめなことですね。
2011年9月23日
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なにがなんだかわからないんですが。
さっき田嶋先生から電話がありました。
「月しるべ」の練習をやりましょうって。
演奏会、終わったのに。
大阪でもこの曲が出ているので、先生としては終わりではないと思うけど。
「完成形作りましょう」っておっしゃるから、私は素直に有頂天。
忸怩たる思いがいっぱいだから。
迷いを凝縮したみたいな演奏になってしまったし、スピードのコントロールきかなかったし。
迷いって言うのは今の私にとって、とても深い思いです。
利根君に教わったことっていうのは確かにあるし、田嶋先生の言わんとすることも理解は出来る。
その中で、「私」はどうしたいのか。
それが定まっていなかった気もするんです。
揺れてたかな。
だから、先生の「もう一度」と私の「もう一回チャンスを」という気持ちが合致したんだと思うと、ほんとに嬉しいんですよ。
2011年9月8日
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