1996年7月2日

1996年7月2日

くらら能楽堂から丁度3年。なにが丁度だかわかんないけど。
仕事してた時、最低3年はやらなければ、仕事も人も理解し合うことは出来ないと思ってがんばった。
しかし、今日までの3年は少し違うな。夢中で走り続けた3年だった。期限はつけなかったけど、敢えてつけるとすれば、「死ぬまで」かな。
走らせてくれた三曲会、三村氏、小田女史に感謝。
いつもいつも「今」が大事になっていた。「この曲」が大事だった。自分と戦えた気がする。自分の限界を少し伸ばせた気がする。
小田女史は私より10歳下。逆算したら、私は彼女の3倍の速度で進歩しなければ、何も出来ないまま死んじゃうと思った。だから、女史の5倍は練習しなくちゃって。
幸い、時間の余裕だけは持てる立場になった。全てがチャンスだったんだと思う。10年間、洗濯物を干しながら、「埋もれたる天才、ここにあり!」と叫び続けたあの頃。どこかに私を必要としてくれる人がいることを、必要とされる場があることを望みつづけた。
これをやるために生まれてきたんだ、と思えるものが欲しかった。
今、私が必要とされているかどうかは疑問があるけど、私自身の方に必要なものができた。
自分を試せるのだ。自分の力を、心を、限界を試せる物ができた。とても素敵です。
……がむしゃら、無我夢中、一生懸命、真実一路、真摯、たぎる心、全力疾走、無心、情熱……どれもこれも人に言ったら「まだ青春やってんのか」って言われるかもしれないけど、好きな姿勢です。
自分に自信が持てなくて、全部避けて来た姿勢だけど。今更みたいだけど、やっぱり私一生青春やっていたいです。
ぼんやりと、ふわふわと生きていこうと決心した日もあった。中庸になろうと思った日もあった。
だけどそれじゃ命もったいない。燃やして生きていくんじゃなきゃ、私かわいそうだ。
 思い続けていれば、必ず願いは叶う。