1997年2月13日

1997年2月13日

昨日はそんな調子で行ったせいか、いまいち盛り上がらず。
「花と風・・」で、女史に一箇所緩めて欲しいと言ったら、その前のアッチェルがあの速度なら、そのあと緩められないよ!と攻撃を食らった。ウ、ウ。
今日練習してて、すくい爪の弾き方を変えたら、どうも音が弾みすぎる気がして考え込んでた。思うにすくう前の音をたっぷり取ればいいんじゃないかな。
ふとそれができた時、弾みすぎてなくて「ツ」と「ル」が一体化して聴こえた。

1997年2月12日

1997年2月12日

先日女史と電話で話していて、小さい音でも鮮明であれば、ちゃんと聴こえるんだねって話をしたら、中根先生が、
****どんなに小さな音でも、芯のある音は会場の隅まで聞こえるし、大きな音でも芯がないものは通らない****
といっていたと言う。ああ、それなんだなと思った。
一つ一つ気づいていくのは時間もかかるし、とにかくパワーがないと。焦りを覚える。
先のことなんて考えても仕方ないけど、死ぬまでにどこまで前へ進めるんだろう。諦めることだけはしたくないけど、”なんぼのもん”になれるんだろう。
 ”できるオンナ”になりたいナ。
 

 

矢部氏も田嶋先生のところへ通い始めてるらしい。
女史とか中根先生とかもそうだし、そんなん、距離が縮むわけないじゃん。勿論、だからこそ私は勉強になるんだけど、切ないよな。
「飛騨によせる三つのバラード」とか聴くと、メチャ大人って感じで、とてもとても近づくことすらできない。私なんかが、今いる位置の果てしない低さを感じる。
なんかこう、スラスラというか、スイスイというか、画期的に出来る様にならんもんかなあ。
いつか見たUFOにお願いしときゃよかったよ。
今日練習だっちゅうのに、落ち込むよ。熱もあるしさ。

1997年1月30日

1997年1月30日

22日は塚山。女史はお休み。
女史と二人でやる予定の「花と風の物語」。まだ一度も合わせておらず、不安です。
少しづつ他の人の音が聴こえるようになってきて、自分の演奏も手と目が別々に動くようになってきて。となると、新たな恐怖が湧いてくるのです。
弾きながら譜面の先を見ることが少し出来る様になったのは、すごく楽になったということなんだけど、人の音が同時に耳に入ってくる。すると、誰かがいい音出しても、あるいはトチっても、どっちに対してもドキっとするのです。
この段階を完璧にすると、全体の音を外側から捉えることが出来るらしいのですが・・・・・・。

1997年1月7日

1997年1月7日

年が明けました。

例の「海の青さに」以来、痛みの取れない腕をごまかしてきたけど、耐えられず、持病みたいになるのも困るので、昨日賀詞交換会の仕事の後マッサージに行ってきました。
 

 

ちょっとやる気の起きない日を過ごしていましたが、本日はとりあえず3時間。
この間女史に 全部の音の粒が揃ってしまっているから腕を壊すんだと言われ、気になっていた。
「花と風の物語」をやってて自分で自分の音が幼く聴こえて、途中で投げ出したい気分だったので、言われたことは胸にこたえた。
平均して同じ強さで弾いているから幼いんだということはわかった。
でも、どうすればそこから抜けられるのかわからないし、自分ではどの音もはずせないという感覚だったのだ。
3日の浦安で仕事のあった時も「篝火」の一番苦手なところ、どうしてものりが悪い。女史が弾いてくれたら急に音楽に聴こえるのだ。ショックだった。

今日、定期演奏会のときの「鯱の城」のテープを聴いていたら、”復興の喜び”の部分の音が鮮明に聴こえる。自分では軽く流していた気がするのにである。
結局リズムの頭だしの後、力を抜ければいいのだ。
音がすべるのが怖いのと、聴こえなくなるんじゃないかという不安で、やたらと声を張り上げて、小学生の唱歌のようになっていた。
力を抜くこと。絃を”弾く”のではなく爪を当てるだけの音が必要なんだと思う。不完全だけど、それをやる方が歌えるんです。少し音楽に聴こえるんです。・・・・・・デリケートじゃなかったんですね。

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