1997年6月23日「古城の旅人」

1997年6月23日 「古城の旅人」

21 日は田嶋先生のところで音合わせ。
大変な収穫がありました。

 7対3の話
****10のうち7は周りの音を聴きなさい。
   残りの3に目一杯自分を出しなさい。
   それが合奏です。****  

これを聞いてから、みんなの音に耳を澄ましたら、それぞれ要所要所でピシッと自己主張しているのがわかった。
それが聴こえたら、リラックスして自分のイメージしたように弾けた気がする。
田嶋先生、アンサンブルを大いに誉めてくださって、本番まで下合わせなしと言うことになってしまった。

1997年6月19日

1997年6月19日

「五段砧」の解釈を本で調べてもらった。
歌の部分は、花になぞらえて遊女の名前を歌っているのだそうだ。手は本手が「砧」で、替手は「秋」を表しているという。
ここんとこ練習しているうちに好きにはなってきてたんだけど、飽きてしまう個所やら、どうしてこういう展開なのかわからないところがいくつかあった。
でも解説を聞いて、色んな情景が頭に浮かんだら、全ての音に意味があることが納得できた。
聞く耳のある人達は、解説なんて読まなくても感じることができるんだろうな。
 
####音にそれぞれ意味があると思ったら、手が軽くなりました。意味をもって弾こうとすると、トチらない。譜面の先を見られるから、弾くのにも余裕ができる。
譜面を記号として追うのと、意味を理解して弾くという心の中のことなのに、技術的にすごく楽になるのです。
余分な力は、いらなくなる。不思議ですが、譜に追いかけられるのではなく、譜を追っていける。####

1997年6月17日

1997年6月17日

今日練習してて、なんだか、何かがはじけています。
音が今までと違うんです。
この間まで、嬉しくなってニヤニヤ弾いていたんだけど、今日、なんか泣きそうなんです。
なんだか、今やっと筝が私に弾くことを許してくれた気がするんです。
どうしてなんだろう。
昨日まではお筝がかわいくって、いとしくって、って思ってたんだけど、今日は違うんです。
お筝に自分が存在を認められたようで。お筝に感謝!なんです。

1997年6月3日

1997年6月3日

5月28日は塚山で三村組の練習。
いやはや、参ったね。橋澤氏、もう意気込みが違っちゃってるんですよ。浜さんグループの時も「早く五段(砧)やりたい」とは言ってたけど、「東風夜曲」の中の三連符についてお筝を弾きながら説明していたら、橋澤氏、目を輝かせて、乗り出して聞いているんです。
ましてや矢部氏に至っては、女史とやる「哀歌」命と言う状態らしく、女史の音と絡み合い、時にほぐれてまた歩み寄ろうとする。女史は思いのままに弾いていられる。
「哀歌」の意味がやっとわかった。
技術なんてどうでも良くなった。女史の手なんて追う必要がない。目を瞑り、その世界へ飛び込んでいける。
初めてお筝で泣けた。
残念ながら、矢部氏はぎりぎり理屈で近づいた感はあるのだが、さすがと言うべきでしょう。
あの時のあの二人には誰も立ち入れない世界がありました。
いいですね。そんなふうになりたいです。

このごろどの曲をやってても、弾いているうちに心の中からウキウキしてくる。
へたすると、ニンマリしながら弾いている。
できたとか、出来ないとかじゃなくて、楽しくなってくる。
そういえば、だけど
田嶋先生の門下生の発表会、嬉しいお誘いは嬉しいと同時に地獄のように怖いことな訳で。そんな気分の時にあるアドバイス。

*****もし、失敗したとしたら、そこに参加するのがまだ早かっただけのこと。むしろ時期を見極められずに誘ったひと人の失敗なんだよ。*****

私は、自分の今ある力を思いっきり発揮するだけでいいんだ。それをどう見るかは、見る人の自由。私は私でありさえすればそれでいいって。感動です。

1997年5月27日

1997年5月27日

20日帰宅したら、留守電に女史より心配のメッセージが入ってた。
しかし、私はすでに立ち直り始めておりやした。
というのも、浜さんのところへ行った時、行く道すがらにも、帰りの横浜駅の雑踏にも、5時間に及ぶ練習にも、全く疲れていない自分を発見したのです。
あれだけ嫌いだった人ごみが、嘘みたいに気にならない。
自分の世界に入ってる自分を見た気がします。
「無」という最大の「有」に出会った。
俗、他、世間が、なにも見えないと言う感覚。