1997年5月20日

1997年5月20日

結局、女史の音に頭の中を真空状態にさせられた。
あの、音による語り。これでもか、これでもかと突きつけてくる。
あれほど、音楽以外の音が混じらない空間にいたことはない。
あの息苦しさ。
息苦しいと思うのは、頭の中に俗世間があるからで、そこへ逃げ込もうとしているからで。
俗世間のなかで、生ぬるいお湯につかって、ちっとは判ったつもりになっていたからで。
初めっから聴く耳なんて持っていなかったんじゃないか。聴く心なんてなかったんじゃないか。
わかってる、感じてる「つもり」だけだったんじゃないか。
現実に自分も弾いているのに、別物扱い。
しかーし!

手痛い目に合わされて、アタシのマゾヒズムは徐々に快感に変わり始めているのです。

答えは筝の中にあると思ったから、敢えて浜さん宅の音合わせに行った。
またそこで思い知らされている。
溝口さんの上手さに。
彼女は攻撃型ではないから、そこへ呼応しようと思ったら、女史に対してよりも更に難しい。
でも逃げたくはない。

1997年5月19日

1997年5月19日

合宿が終わりました。 
その合宿の中で
自分を否定したくなるくらい落ち込んでいます。
女史の演奏を聞いているうちに、頭の中が空っぽになり始めた。突然目も耳も手も真っ白になって。譜面は見えなくなるし、手は空回りしているし、女史の音まで拒絶して受け入れられなくなってしまった。
何の曲をやっても全く弾けない。弾けてたものまで弾けない。
そんな間に女史が一人の曲を弾くと、もうこっちは絶望的な気持ちになって。あとは地獄のよう。
矢部氏と一緒にやると、なおさら追い込まれて。
何が自分に起きたのか、まだ整理つかないでいる。
誰の音にも呼応することが出来ず、リズムも全く取れず、強弱も判らなくなり、糸すら見えなくなって、自分さえも見失った。
今までは少しづつ空っぽにしては埋め込んで、少しづつ違う色にして行ってたけど、この三日間は一気に完璧に空っぽになってしまった。
音の世界に容易に入って行けなくなってしまった。
橋澤氏は、行くのを一番渋ってたけど、何かが生まれた。
私と矢部氏は逆になにもかも捨てさせられた。
早いとこ跳ね上がらなくては。

定期演奏会「東風夜曲、虹色の風、五段砧、花紅葉」1997年5月9日

  定期演奏会「東風夜曲、虹色の風、五段砧、花紅葉」

1997年5月9日

田嶋先生のところの下合わせや定期演奏会の合同練習、それぞれの本番が全部6月、7月に集中し、さらには矢部氏からの提案で合宿も予定されて、めまぐるしい日程になってます。

「古城の旅人」1997年4月30日

「古城の旅人」

1997年4月30日

怠けっぱなしの今日この頃です。弾きたくないのです。
13日から18日まで、例によってハワイに行ってきました。
いっそ家にいない方が、弾いていないことに対する後ろめたさがなくなります。でも、帰ってきても弾く気になれません。
27日は田嶋先生の演奏会。
プロとアマの違いを痛いほど見せ付けられつつ。
西陽子さんという人と、時村好恵さんという人がソロで出た。
西さんは、とにかく上手い。沢井門下だとのことだが、レベルが高い。
時村さんも上手いが、若いなあという感じ。
勿論、そのレベルでの話だけど。

田嶋先生の門下生の発表会に賛助で参加せよとの話(中根先生より)が参りました。「古城の旅人」

1997年4月11日

1997年4月11日

ダイアナロスを聴いて
私には肌の色を語る資料がない。
肌の色で差別されたことも、差別したこともないから。

どんなにカッコいいと思ってもそういう詩は浮かばない。
そういう言葉はまねできない。
私の世界は小さいのだろう。