箏日記↓

1995年11月20日

1995年11月20日

10日の一等星のステージはすくい爪が全然引っかからなくて 困りました。全体として、どうもここ一番と言うところで、貧弱にまとまってしまう気がする。小田さんの音に対し、響きが足りない感じで、どうにも情けな い。
18日日本文化交流会では、BGMのありかたを、みんなから教わった。
「六段」にしても「千鳥」にしても、静かにゆっくりと流してい く。着付けの説明に呼応するような演奏となったが、すべて山谷さんや、小田さんのとっさの対応である。
だが、弾いているうちに全体の流れ、会場、 客の反応、その中にいる私たちといったものが見えてきて、生演奏のBGMの凄さを感じた。
山谷さんの英語での解説。これもまた味わい深く、素敵な 英語で楽しく、絶品である。
みんなの芸の深さには感動してしまいます。
正統派の演奏会では得られない充実感がありました。

1995年10月31日

1995年10月31日

11月に一等星のステージと、日本文化交流会(着付け教室)のBGMを、と言われている。
やる曲は大分あるんだけど、これと言っ て目新しいものがないんですよ。そこそこ弾けそうな曲ばっかりなもんで、急に意欲が湧かなくなったというか。
そんなこんなしてたら、どの曲もなん か中途半端でまともにゃ弾けていなかったりして、ますますやりたくない感じになって。
「こ手毬」と「篝火」を、「やったことないよー」の一言で降 ろされましたが、受けときゃ良かったと、後悔しています。

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結局私は鈍いんですね。何度もやらないと、どう も理解できないらしいんですよ。
どうどう巡りしているから、練習に何時間も掛かってしまうんじゃないのかな。
最近は少しズルくなって、あ る程度練習したら、止めて別の曲に移るんです。時間を置いてまたやってみる。
あんまり集中しすぎると、却ってその曲が見えないのかもしれないと思 うんですよ。だから、毎日少しづつ。
ま、色々やって見ますよ。歳をとるたびに自分の「馬鹿」を発見してしまいます。課題ばかりが増え続けます。

**** なぜ、人はあがってしまうか
山谷さん:良く見せようと思うから
小田さん:技術を誉められようと思うから****

「観月会」 1995年9月12日

「観月会」
1995年9月12日

観月会(9月10日)、惨澹たるものでした。「旅路」!!!
舞台に座った途端、手に汗が噴き出て、爪が抜けそうなのです。それを気にしいしい弾いているうちに舞い上がって来てしまって、左手の入るあたりでは、もう自分が自分じゃないのです。
ふと見ると、左手が夢中で舞っているのです。とうとう最後までとどまるところを知らずって感じ。
なにが嫌って、高校生の女の子。態度も音も落ち着き払って。泣けてきますよ。あの子にも負けているんですよね。
そうだそうだ、苛めろ苛めろ、痛い目に会わせろ。伸び切っている鼻をへし折って頂戴。でなきゃ、天まで届いて身動きがとれなくなるよ。
とは思っているんだけど…泣きたいよ…

****始めなければ何も起こらなかった筈。
   だけど、始めてしまったんです。
   もうやめますか?****

1995年9月7日

1995年9月7日

昨日もそうだったんだけど、技術的なこととか、弾き方のノウハウとか、教わった通りに弾くと、嘘みたいに楽になるんですよ。
すごいですねぇ。そういう事自分で気付いていかなきゃいけないのかな。だとしたら、先行き不安。

1995年9月6日

1995年9月6日

観月会に向けて最後の音合わせです。
 前に三村氏にお稽古を付けてもらったのですが、自分のいいように弾いているとあまりにものろくなってしまうので力が入ってしまう。しかし、良い反応はありませんでした。ただ一言「速ければいい訳ではないしねぇ」……しばらく弾く気も起きなかったけど、ボチボチやっていくうちに、なにが面白くないか、徐々に分かってくる。
 解説を何度も読んだりして、自分なりの物語を追う。それを繰り返していると、強弱やテンポやもろもろが理解出来始めて、どんどん楽しくなってきました。

 ####8月26日の一等星のステージでの「流れ」は、やはり不安だったところ、トチりました。だんだん震え出して困りました。