箏日記↓

1994年9月 観月会(三渓園)

1994年9月 観月会(三渓園)

お筝を弾いていて初めてあがっていない。
とにかく震えていない。
まだ少し次の出番、嫌だなと思っているけど、あがっていない。私、どうしたんだろう。
気持ちいい!までは行ってないけど、すがすがしい。
トチらなかった訳じゃないけど、気分がいい。
一体これは何?

****「あがるのは、自信がない時よ」****

自分の中で何かが変わりつつある。それが何であるかは全く分からないけど、なにか燃え始めているのが分かる。

1994年7月 定期演奏会

1994年7月 定期演奏会

どんどんやる気を失っています。
まあまともに出来たかなと思うのは、小曲集(花かげ他)と、「茶音頭」ぐらいですかね。

でも尺八がこけた。どうしようかと思ったけど、もう自分のペースで弾く以外に手はないのですよね。
「茶音頭」は鈴咲先生が「胸がスッとした」と喜んでくださいましたが、自分としては納得できない何かを更に抱え込んだ気分です。

もう駄目だ。ヤダヤダ。
この定期演奏会を最後にしようかなと思っていた気持ちが、どんどん固まってきます。
演奏会の最中、三村氏に打ち明けた。
これを最後にやめますと。実力がないことを痛感させられた一年でした。これ以上は無理だから。

 …私がいたっていなくたって、さしたる影響もないだろうし、なんて考えてた。

会の終わった後2~3 日経ってたかな。三村氏より電話。
言われましたよ。言ってくれましたよ。

“今、苦しい今、泣きながらやめたらだめだよ。
やめるのは笑ってからだよ。
今やめてしまったら、多分二度とお筝を出さなくなるよ
お筝を始めたのは、今お筝を弾いているのは、誰のためでもない。自分の為なんだよ。

「音楽」の名の通り、音を楽しんで。
苦しい時を乗り越えなきゃ、楽しみは来ないよ。
楽しい時を味わってから、笑えるようになってから、
やめたければ、やめればいい。
でも、今は絶対だめだよ。“

涙出そうですよ。有り難くて。
私自身気付かない私の処世術だったんじゃないかな。
ちやほやされ、そこそこ無難なところでお茶を濁す。それがもう出来ないと思ったら、一目散に尻尾を巻いて逃げ出そうとする。
と言うより、限界までやったものだと思ったのかもしれないな。
笑える日なんて来る見込みもないけれど、そう、誰の為でもない。自分の為に弾いていたんだと思ったら、なんか目の前が明るくなった気がした。
三曲会の為、お手伝いさせていただきます、なんておこがましいよね。
そうだよ自分の為だったんだよ
人生観変わりそう。

「茶音頭・春の夜・遠砧」 1994年5月

「茶音頭・春の夜・遠砧」
1994年 5月

浜さんが、そろそろ始めたいとのこと。
夏の演奏会から参加となる。

しかし、なかなか上手く出来なくて、なんか尺八の人達にも相手にされていない感じで。
弾ける人達にはもう一回、もう一回ってさ。こちらも弾けないから何回もやりたくはないけど、明らかに尺八がついて来れないときもあるのに、それはそのまま流されてしまうのです…。

「乱れ」 1994年2月 観梅会

「乱れ」
1994年2月 観梅会

「乱れ」も出すことになった。三村 氏からの要請で。ここにくだんの際立ち女、小田さん登場なのである。筑紫会。
全てが凄い。音の大きさ、手の動き、もう完璧なのだ。
こちと ら、縮み上がってしまう。宮城会の意地を見せるどころではない。
CDを聴きながら、もう一度曲想を捕まえるところから始めた。
しかし彼女 と一緒に弾くと、気持ちが高まる。とても及びもつかないけれど、もっといい音出したいと思わせてくれる。

三村氏は、そっと添えるようにして弾いて くれていたので、それまでよく分からなかったけど、こちらのレベルを見ながら弾いてくれていたと気付いた。
観梅会は、やはりドキドキものだった が、どこでどう間違えても、二人がまとめてくれるのだ。そういう意味で、のびのび弾けてしまう。なんなんだろう。
岬めぐり他小曲も出したが、失敗 の連続。みなさんごめんなさい。

「昭和松竹梅」 1993年7月 くらら能楽堂

「昭和松竹梅」
1993年7月 くらら能楽堂

6年振り。三曲会の定期演奏会参加。
10周年記念というので、つい引き受けてしまったが、碌に弾けない。

「昭和松竹梅」たった一曲のために一日中緊張し、杉浦先生、伊藤先生、瀬尾先生、本条先生、浜さんの陰に隠れ、なんとなく格好をつけて弾く。いつものパターン。
他の人達、特に中根社中の人達は相変わらず自信たっぷりである。
塚山会館でのお稽古は2回。1回のお稽古で1回しか弾かないから、正真正銘2回だけ。
6年間お筝を出していなかった私には厳しい。尺八が入るとドギマギしてしまう。全く進歩していない。
本番当日出会った女性。際立って上手い。
誰だろう。初対面。
三村氏の顔も見える。
なんか、巻き込まれたみたいにして初めて打ち上げ参加。
その席上、鈴咲先生、三村氏、高本氏より(なにを思ってか中根先生にまで)三曲会復帰を勧められる。
隣の席には、くだんの際立ち女が座した。
サバサバ、ハキハキしたなんとも切れ味の良い女性で、かなり安心した。
この日シャンシャンと手を打たれて三曲会復帰の約束をさせられてしまった。

6年振りの三曲会。
とにかく宮城曲をと言われて。
六段、千鳥、茶音頭あたりを、尺八で勉強している人達のために、何度でも合わせますということで。
しかし、会の方は別の曲も加えてくれという。

当然の要求ではあるが、みんな凄い誤解のもとに発言している。つまり、私がとてもよく弾けると思い込んでいるのだ。これは、定期演奏会の打ち上げで、会長である高本氏が、復帰を拒む私を前に、「真千姐さんの実力は、私が知っています」と発言したせいである。
困ったものだ。もう出せる曲など、一人で弾ける曲など、実はもうないのだよ。

私が行く日は、三村氏が必ず来てくれて、一緒に弾いてくれるのだが、あなたがメインだよ、あなたがたてなんだよと、前へ、前へと押し出してくれる。が、しかし冗談ポイの世界だ。とんでもhappen、歩いて10分なのですよ。(フ・ル・イ)

どんどん落ち込んでいく。三村氏なくしては、翼の折れたエンジェル(!?)状態なのに。泣きたいよ。
浜さんにも相談したけど、浜さんが将来三曲会に復帰するために関係を繋いでおいて欲しいと言う。ま、確かに。
とにかく苦しい。月一回しかないのに、一回休んだ。
ジレンマの渦の中にどっぷり。先生(宮城会大師範杉浦先生)のところでお稽古していた頃を思い出した。

よく半ベソで帰ったものだ。できなくて。
そんな状態で通った時期、よく考えたら5年もない。そのまま6年もの間、お筝にはゆたんが掛かったまま。一度も出していないのだ。自信を持てと言う方が無理だよ。

どの曲も満足に弾けないということがどんどん分かってくる。改めて三村氏から習い直している気がする。そのくせ、生意気なことに、先生の弾き方と違うと思ったりもしている。