箏日記↓

1999年6月7日

1999年6月7日

先日滝井さん宅で「曠野にて」を合わせた。
最初バラけていた音が、二度、三度やるうちに添ってきて。なにより彼女の気持ちの中で私を受け入れてくれるのがわかる。さんざんご馳走になって。
なにかを吸収しようとしている人の目はいいものです。

1999年6月3日

1999年6月3日

遂にお筝を買いました。苦節(?)27年目。
初めて買った時のようにどきどきしました。くり甲です。
目の前で糸を締めてもらって。1曲弾いてよといわれ、筝の前に座ったら、なんとも糸が太く見えて。ナイロン絃でも張ったのかと思う程。
しかし、弾いて見ると筝に拒絶される。手がはじき返される。
それに反して音はどこまでも伸び、大人の響きを出す。
に圧倒された。
思い描いた音をきっちり出してきているのに、おかしなことにそれに対したじろいでしまう。
翌日、糸は普通の太さに見え、「おまえの思うとおりに弾け」と、声が聞こえる。
へたなことやったら、この子に申し訳ないという気がしてくる。

1999年4月7日

1999年4月7日

1日、矢部氏からの依頼で、彼の職場のお花見で演奏させてもらった。
公園の中だったので、時々突風が吹いて中断したり、譜を押さえてもらったりと、アクシデントはあったけどなんとも楽しく。
通りすがりの人たちが、ずっと聴いててくれたりして、すごく喜んでくれて。
暖かいエネルギーをまたしても沢山頂いて、絶好調のうちにアンコールまでやりました。
4月28日

田嶋先生の演奏会に行ってきました。
中根先生の「星」(筑紫歌都子)は珠玉です。
古曲を大人数でやったけど、難しいなと思いました。
田嶋先生の門下生の発表会に出演のお話がきました。
「曠野にて」の1筝です。

1999年3月4日

1999年3月4日

2月27日は観梅でした。
飛鳥の夢(宮城)17絃
訪れ(栗林秀明)
うわさの二人(宮田耕八朗)の3曲。
暇でした。「訪れ」と「うわさの二人」、ハチャメチャ。揃わないことこの上なしで。
「飛鳥・・」は筝4人尺八3人いるので、やっぱり気が楽です。良くないことだけど。
2巡したので、「訪れ」をもう一回やれた。
午後2時頃で、暖かく、梅もよく咲いていて人出も多くなって。
舞台に座った瞬間二人の間が通電された気がした。やっと思い通りに弾けた。
どんなピアニッシモも、ハーモニー完璧。
客がいるとこうも違うのかと驚いたけど、見ている人から莫大なエネルギーを貰うんだと思う。そうなれば、気持ちいいわけですよ。

1999年2月26日

1999年2月26日

 まだまだフェスティバルの話は続く訳で・・・・・・。
永子さんとの電話から・・・・・・
あたかも一人の人が全部弾いているのではないかと思える流れがあるという。
私自身、そう思えることがあった。
呼吸が合うなんてのは基本形で、プロなんかみんなあたりまえにやっていることだと思っていたから、大したことじゃないと思っていたが、呼吸以上というか、それ以前のものだと考えたら、やはり普通には出来ないのかもしれない。
同じ絵を描いていなければ絶対に無理なのだ。
あの日、何の無理もなく同じ絵を描けていたから、あがることもなかったし、周りの雑音も気にならなかったのではないんだろうか。
PM6:50 テレビ
 「自分の才能を磨くことです・・・・・・」
 これって・・・・・・・・・
私は自分に才能がないと思っている。それがないから、こつこつと独自の練習を重ねて勝ち取ってきた。そのことがむしろ私の自慢だった。
苦しんでる最中は、才能のなさを嘆いているし、もしあったらなあ、なんて情けないことを考えたりもするけど、だからこそ頑張んなくっちゃって思うことができるから、それはそれで幸せだった。
だけど、頑張れることも才能だとしたら・・・・・・
頑張るべき理想を発見することも才能だとしたら・・・・・・
少し思い違いなり、自分への過小評価のし過ぎなり、あったとしたら、それは美しくない訳で。
自意識の持ち方、自分を見つめる角度、少し変えてもいいのではないかと。
なんか、少し自信を持ってもいいのではないかと。