箏日記↓

2001年8月20日

目下のところ、「トワイライト・セイリング」に夢中
リズムの変わり目をどうつなぐか。
矢部氏はCDを聞きたいと言ったが、「サンプルから入る」という姿勢から少し離れたほうがいいと思う。

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18日~19日浅草に行ってきました。
浅草のテプコ館で、先日松本の本屋で見た石井美千子という人の人形展があるというので。
ついでに浅草見物、どぜう鍋っちゅうことで。
「浅草」というところは不思議な街です。
人出も多いけど、日常が見えません。
年中お祭り騒ぎなのか、それが日常なのか。観光一色の街です。
魅力的だけど。

また半襟買っちまった。

石井美千子さんの人形展は、「昭和の子供達」というものでした。
やはりすばらしかった。暖かくて、切なくて。やさしい人形たちでした。

下町資料館で辻村ジュサブローの人形を展示しているというので、そちらにも行きました。
吉原の三浦屋の建物の中にジュサブローの人形がいるわけです。
建物も微に入り、細にわたって丸ごと作ってあります。花魁の部屋にはお箏がありました。建物自体非常に美しい。
あこがれのジュサブローの人形を肉眼で見られるんです。
展示会場の照明のせいで、紫色は少々飛んでいましたが、着物の着せ方が、もう、ほ~んとに色っぽくて。特に襟とかがそうなんだけど、なんせきっちり着せないのです。そのふにゃふにゃ感が、肉体の息吹を感じさせているんだと思うんですよね。圧倒されました。

お昼のラーメンもおいしかったし、アイスクリームも絶品で。
もちろん駒形どぜうは最高!!!   たのしかったよー。
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2001年8月17日

定期演奏会のMD聞いてて自分の足りないものがまた見えた。

中根先生の音や演奏があまりにも大人で、音楽的で、私の幼稚さがあからさまになってむしろ聞きたくないほど落ち込む。

すごく早口でしゃべっているという感じ。
ぞんざいではないけれど、早口。
手馴れた雰囲気というのとも違う。

要するに、幼稚な早口ということなのかな。

心の中からわきあがる味がない。
いわば、頭で考えた味?
曲にもよると思うけど、結局雑なのかな。

2001年6月8日

サッカーの話

誰かがボールを持ってゴールにむかって走っているとき、そこからどんなに遠くにいる人も全力で走っている。
ストレッチをやっている人も、実は相手へのけん制を常にしている。
ゴールキーパーも、いつでも来い。任せろ。と、チームに常に安心を与えている。

これがチームなんだって。

それがアンサンブルだよね。
一人でやっているんじゃないんだと、あらためて自分に言い聞かせたい。

2001年3月2日

矢部氏の希望で「春の海」を弾くことになってしまった。

「私は、なにもできていない。なぜならこの曲が弾けないから」と思う曲の一曲だった。
私には大きすぎる曲だった。完璧じゃないならやらないほうがいいと決めていた。
否応なしに弾かなければいけなくなったのだが、客観的にみたら「だめだ」曲のひとつに今挑戦しようとしているわけで。

これはすごいことなんじゃないだろうか。
いつのまにこんな挑戦ができる度胸がついたんだろうか。

先生のところに通っていたのが通算7年。
現代曲を始めて6年半。
私の筝人生、正味13年半だ。

こういうチャンスがなかったら一生弾こうとしない曲だった。
自分をあきらめたままになる曲だった。

とにかく、悩みつつ練習を重ねた。
今日、急に音にエコーがかかったようになった。
またしても不思議なのだが、透明感のある音に自分でしびれた。
あきらめていた曲なのに、いつのまにか、とりあえず弾けるようになっている。
勉強って何だろう。どうして力ってつくんだろう。

みんなスラスラとできたのかもしれないけど、私は自分で自分に待ったをかけてきた。その壁をひとつ破った。
これは喜んでいいよね。

2000年11月22日(続き)

17日はわがままコンサート。
ゲストが吉崎克彦氏と田辺頌山氏だったもんで、客の入りはすごかった。

当日田嶋先生の「湘南の春」という演奏会で「四季の眺」に出ないかとのお誘いを受けた。