1997年8月26日

1997年8月26日

昨日、八の糸が切れました。金曜日まで練習できません。
困りました。一面しか持っていない宿命です。

CDを聴きなおしています。プロの演奏な訳だから、そうなんだろうけど全般的にさらさら移動している感じもあるが、やはり息がつけないという感覚は抜けない。
田嶋先生がどういうコンセプトで曲を作るかわかんないのと、私自身まだこなれていないので、どういうことになっていくのか不安がある。

ここのところ、ときどき自分の音がきつく感じることがあった。なにかに怒っているとき自分の音が鋭くなっているようで嫌だった。
私は「怒り」で自分を表現することもできないし、「攻撃」で相手に近づくことはできない。
愛というと大げさだけれど、やっぱり人と人の和がなければいいものは作れないと思う。

1997年8月25日

1997年8月25日

雪月花ができないので、吉崎克彦のCDを買いました。
超ショックです。息つく暇がありません。
ごまかしてる暇もありません。

1997年8月18日

1997年8月18日

6、7月はなんだかんだと忙しく、お筝と静かに向き合える時間がなく過ぎていった気がする。
本日午前中、しばらくぶりでゆっくり弾けた。
台北の「雪月花」がなかなか仕上がらない。

練習の時、手ならしも兼ねて「じょんがら」を必ず弾くようにしている。6連符のところ、爪を立て気味にすると音が鮮明になるようだ。手を寝かせて弾くだけではとても出来ないんだとわかった。
「今頃・・・」という気持ちもあるが、いろんな曲を弾いているうちに出てくる「自分のコツ」なのではないだろうか。やはり、それをつかむために私はひとりで自分を見つめるほうが性に合ってる気がする。
他の人の演奏やら、音から得るものは、勿論たくさんあるけど、自分の体が反応しない限り自分のものとして身につかない。

1997年7月30日

1997年7月30日

21日は田嶋先生門下生の発表会。
緊張するかなと心配してたんだけど、衣装を着て、女史が貸してくれたイヤリングを付けたら、なんか心の中でクイっと頭をもたげた自分が生まれた。
久しぶり、しかも見知らぬステージに立ったときには田嶋先生すら、私の意識の中から消えた。
他の、お筝の大先生たちに至っては、考えの中にさえなくなっていた。
不特定多数の「誰か達」に「さあ、聴いて」って。
またひとつ、大きくなにかがはじけた気がする。
いろんな「現実」と隔たりができた。

1997年7月16日

1997年7月16日

ちとしゃん亭は想像以上にすばらしいものでした。
第2部の上妻君の津軽三味線と御木君の和太鼓に魅せられました。特に太鼓については文句のつけようがありません。
太鼓に引っ張られて、三味線が息を吹き返すといった感がありました。

定期演奏会は悲喜こもごもといったところですか。
昨年に比べて完璧なものは一つもなく。
なぜなのかもわからず、コメントはちょっとしにくいです。疲れました。

今のところ、次の「古城の旅人」の仕上げにかかっています。

次回、候補曲は

「琴姫のうた、月姫伝説、摩訶不思議な夢、明石、晩秋、胡笳の歌」