1997年9月8日
6日の夜は六本木のバレンタインというお店で御木裕樹の和太鼓ライブ。
第一部は木下伸市(津軽三味線)とのセッション。
第二部がロックバンドも加えての派手なライブ。
「木下伸市」は凄いです。
ライブのステージの作り方も御木、木下コンビの息も絶妙で、「プロ」を感じます。
打楽器(太鼓は勿論だけど、三味線というのも打楽器を抱えてるようなところがある訳で)の魅力と力強さ、面白さには、やはりかないません。
お筝で、一体なにができるんだろうか。
「何をやりたいか」っていう問題の原点があるんだけど。
まだ出会ってないんだろうな。
でもお筝の何かを見て、「これだ」なんて言ってたらそれはもう出遅れてる訳だよね。誰かのコピーなんだから。
1997年9月8日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年9月4日
雪月花、イメージできてきました。確かに全部の曲にこれをやってたら、女史の言うように魂削られますけど。
とりあえず。
一筝(特にソロ)が花。
二筝は雪。
17絃が風。
尺八は月。
おだやかな風に乗って粉雪が少しづつ舞い降りてくる。その雪は花に焦がれて一緒に舞い狂おうとしている。花は何も知らない。風は雪に押されるかのようにその力を増していってしまう。
全てを見ているのは月。
月は花に教えようとする。「それは雪だ。おまえ自身ではないのだよ」
だが風の音にかき消されて、その声は花には届かない。
遂に花は雪に騙され、自ら舞い散って行く。
やがて騙されたことに気づいた花は嘆き、泣き叫ぶが、もう誰も止めることは出来ない。
しかし、花も雪も風も月も、それが、どうすることも出来ない自然の摂理であることに気づいている。
抗うことの出来ないそれぞれの性であることを知っている。
それぞれが自分の罪の深さを嘆き、哀しんでいる。
1997年9月4日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年9月3日
もう9月です。ぢきにアタシも45。!?
雪月花、本日やっとちょっとだけど手ごたえあり。です。一ヶ月半ぐらいかかりましたか。
CDとは何度も合わせてたけど、一箇所どうしてもズレるところがあって、よくわからなかった。
ただひたすら疲れて、つなぎ目もぐしゃぐしゃだったけど、今日なんでズレるかわかった。一音づつ足りなく弾いていたのだ。そこがわかった途端、急に弾くのが楽になって、譜面も先を見られるようになった。
なんでなんだろう。おできが取れたら急に他まで元気に、というかその一つのおできのせいで全部がグズグズになってた気がする。不思議だ。
つい昨日まで嫌になっていたのに。
田嶋先生のおことば
****一曲の中で一音でもいい音が出せたらそれでいいんです。他は気にすることはありません****
1997年9月3日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年10月2日
ただいま風邪をひいております。
夜中は咳き込んで眠れず、関節が全部痛い。
今日で4日目になるけど、ふと気が付いたら、頭の中に雪月花が回っていない。止まってしまっています。
体中の筋肉も完璧に力がなくなっています。掃除機も引っ張れない。久しぶりに大きな風邪です。細かいことが考えられない。
この3~4年そういえば大きな風邪を引いていません。
なんかチャンスかなと思っています。
肉体が元気でなければ本当に音楽なんて演奏できないなと思うけど、こんなに長い時間音から離れられる。頭を空っぽにすることが出来るんですね。
今の私には、ちょっと必要な空間かなと思うのです。
元気なときは、やれるのにやりたくないと思ったりして。
今は、やりたくてもできない。心が疲れたときもやっぱり弾けないんだろうな。
風邪とともに余分なものが全部抜けていったらいいなと思うのです。
なにか生まれたらいいな。・・・・・・完全に音が止まっています。
1997年9月2日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
1997年8月29日
楽器屋さんの「のぼる」さんに来てもらって糸の張替えをしてもらった。彼自身三絃をなさるようで、ステージの作り方から、選曲から、よくわかっている。話してて面白い。
1997年8月29日
:箏日記↓, 第5章 飛躍、挑戦、そして新たな不安「雪月花によせて・火の鳥」
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