ロビー演奏Vol.2

1回目の演奏が、そこそこよい手ごたえだったようで、3月16日も呼ばれました。

今度は横浜の山下公園の前にある、県民ホールの小ホールです。

前回の感想の中に(濱永さんがアンケートとってくれてました。)、静かなもの、ゆっくりしたものもあってもよかったのでは?というものがありました。
私のほうも、弾いていてサビの部分がくると、聞いている人の「気」が集中するのを感じていました。派手なもののほうがいいのかと思っていたのですが、案外そうでもないようです。

この演奏は、その後3回ほどやらせていただきましたが、そのあたりで、別の仕事がはいることになり、終了にいたしました。

ロビー演奏Vol.1

2006年2月
知り合いに、イベント業をしている濱永さんと言う人がいます。
現在横浜で落語会の企画運営もしているのですが、その落語会のときに、ロビーでお筝を弾いていいよとのお誘い。

二つ返事でお受けしました。

一人で弾く不安。一人で行く不安。胃が痛かったですが、これができなきゃなんにもできないと思って、結局一人でやってみることにしました。

譜面をあれやこれや引っ張り出して、複数パートがある曲でもいいとこ取りをして、独奏用に作り直してみると存外いけそうな感じです。

最初は2006年3月2日に横浜関内小ホール、ロビー。

佐藤義久:赤い花束・春の予感
野村正峰:春のうた
自分の編曲で:花

ずっと聞いていてくれるお客さんが何人もいました。
会場に入っても、弾き始めたらまた戻ってきてくれたりして。

演奏場所に、勘亭流で私の名前を大きく貼り出してくれてて、プログラム(落語の)後ろにまで名前を載せてくれていました。すごく嬉しかったです。

雅びの会Vol.2

講習のとき、最初できなくて困った箇所がありましたが、スピードをどんどん上げられたら、あるところで、スーッと手が動きました。乗りやすい速度っていうのがあるんですね。
水川氏が指揮をしてくれるのですが、それに合わせようとすると自分が乗り切れていない場所がはっきりします。
体で覚えるのがいいのかなと思って、講習会の録音を聞きながら、毎晩めちゃくちゃ踊りをしてました。

本番、中野ZEROホール
楽しかったです。 水川氏とお話もできて、感激です。

指揮者のある演奏は初めてだったので、それはそれで面白かったですが、指揮者の考え方が自分と違うと苦しいのでしょうかね。

この会に挑戦してみたら?と言われてから決心するまでに、すごい年月がかかったというのに、やっと申し込んだら、「今年でこの形式は終了」とのこと。超複雑な気持ちです。

お友達ができました。石川県の金沢市からきた東さん。
挑戦した一番の目的は、新しい友達をつくること。だったので、本当にうれしかったです。

雅びの会Vol.1

雅びの会参加

2005年夏
勇気と金を出して、雅びの会参加を決めました。

何曲でも申し込めるけど、今はまっている水川寿也氏の「AXIS」1曲で。
パートは、17絃。

みんな、弾きたくて来ているのだから、当たり前かもしれないけど、すごいレベルでした。どんなに速くなっても弾けるのです。
水川氏は見たまま、あのまま。明るく、楽しく。

1回目の講習会(全2回)。
お筝40人ぐらいに対して17絃参加者が3人しかおらず、音が小さいの、遅いのと言われ続け・・・・・・。
ついに「17絃遅いから、合わせようか」発言が出て「ゲッ」・・・・頑張るから、それは、無しにして;;と思っていたら、水川氏「合わせなくていい」って。
うれしかった。

2005年4月吉日

長いこと日記を書いてきました。

右も左もわからず、ひたすら迷い続けてきた足跡です。
いろんな人に出会い、いろんな曲にぶつかり、そのたび考え込み、悩み、探る日々でした。
迷いや、悩みはどこまで行ってもなくなることはないだろうと思いますが、悩むたびに自分自身何らかの変化はします。

田嶋先生に「クレッセント」(吉崎克彦)を通じて教わったこと、そしてご一緒に演奏していただけたことは、私に最も大きな変化と成長をもたらしてくれました。
いきなりすべてが変わるわけではありませんが、一歩足を踏み出す勇気をいただいたと思います。

自分が変わると、不思議なもので自分をとりまく環境まで変わっていく気がします。
そして自分も、変化する環境を受け入れられる人間に変わったのだと思います。

それが勇気なのか、自信なのか、精神力なのか、度胸なのか。

ここからは、変化した私と、その環境について「新しい世界」として記録します。
お暇なときにでも覗いてみていただければ嬉しいと思っています。

ここまで読んでくださった方々にお礼申し上げます。
長い間、ありがとうございました。