第8章 旅立ち

2000年11月22日

このごろ、書くのを怠けがちだ。
音楽以外の悩みが多くて自分でも少々嫌になっている。

8日は田嶋先生のリサイタルの受付。
乙女文楽という一人文楽を見た。すばらしかった。

後継者がいなくて苦労しているらしい。
人形の衣装も全部一人で作るのだそうだ。
舞台を見ていると、人形と使い手の顔がダブって、今どっちが踊っているのか、わからなくなる瞬間があった。

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無理やり打ち上げに連れて行かれた。
プロにはプロの世界があるんだと思った。
でも、話の内容は音楽に関してプロもアマも同じだと思った。
向こうはこっちをアマのぺーぺーだと思って、話を振ってはくれないけど、気持ちの高まりは同じだった。

でも、場違いだった。
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2000年8月11日

チケットをいただいたので、8月3日に「雅びの会」のコンサートに行ってきた。この会は、「作曲者と一緒に演奏しよう」いう企画。

私としては、もっとも嫌いな群舞だったのだが・・・・・
大人数での演奏のメリット、デメリット両方がみられて大変面白い演奏会だった。
結局みんな誰かの門下といった感じだが、嘘か本当か初心者の人もいるとのこと。だとすれば、あそこまでまとめるというのは、プロたちの手腕ということになるわけで。今、私の周りを見ると、みんな何かが違っているんじゃないのかという気がしてくる。
ああいうところに参加したら(演奏会そのものじゃなくて)なんか自分の世界が広がるんじゃないかと思ってしまった。

違うところで違う出会いをしたい。

2000年7月27日

昨日は塚山で練習。
初めての感覚!!

自分の音が全部なにかでつながって聞こえる。
歌声、とか、管楽器、とかのように。
メロディーがぶつ切りじゃない。弾いていて、怖いぐらいつながっている。

今まで何を弾いていたんだろうと思ってしまう。
筝という楽器がいったい何者なんだろうと思う。
何かにいざなわれているような感じ。
なんなんだろうか。

2000年7月14日

12日、オーラJという集団のコンサートを聴きに行ってきた。
プロデュースは三木稔氏。
委嘱初演ものを中心に6曲。
アジアへの展開と銘打って、日本、韓国、中国の作曲者の作品を出した。

すごいレベルだとは思うけど、ちょっと前衛的で、難解なものばかりだった。

ああいうのって、芸術って言われるんだろうな。

2000年7月11日

田嶋門下の発表会終わった。
終わった瞬間に、それまで異常なほど自分が張り詰めていたことに気づいた。
Ⅰ筝だったため、自分ではそんなつもりまったくなかったけど、Ⅱ筝、17絃、尺八を肩にしょってたみたいなのだ。
こんな風に書くと、すごくえらそうだけど、全部のパートにアンテナを伸ばし、全部の音をキャッチしようとすると、私の力、不足している。かなりの負担を背負うことになる。その上で自分が真からリラックスするには、全然修行が足りないのだと思う。ものすごいプレッシャーだったのだと思う。