第8章 旅立ち

2002年4月15日

湘南の春、今回は「茶音頭」。
後唄の少し前、お筝を弾いて一番てこずるところの基本練習

速度を半分以下に落として弾く。
遅くした速度を保ち、しかも押し手を正確に弾くこと。
また、指揮の一振り目で速度をキャッチする練習。

即座に対応できたので、褒められたが、これは基本で、「できて当たり前」でなければ演奏はできないと思う。
この練習法を忘れずにいたいと思う。

2002年4月2日

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部下がついてくるかどうかは
       リーダーが苦しんだ量に比例する

一人の天才がいたってだめだ
      凡人の力を合わせれば必ず大成する

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2002年2月17日

年がかわってしまった。
ずっと、「何か」は、やっていたし、いろんなこと感じてもいたが、日記を読むとなんとなく不毛な気がするから、割愛で。

昨日は、観梅。
*楊柳・花と風の物語・雪人形の夢・道化師・流れ・春の曲・知床の賦・津軽幻想・星のみずうみ*

なんか、惨憺たるものだった。
私の速度感、強弱感が狂っていた。
すべて速く弾こうとしている。「弱」ができていない。最大の問題は速度感の欠落。周囲の人の音をやせさせてしまっている。最終的には自分の音もやせていっている。

*道化師(17絃)
最初のすくい爪が走っているため、スピードが上がってしまって尺八も大変。筝もあおられている。

*流れ
どんなスピードになろうと相手の音がやせもしないので、私はいい気で突っ走っている。そして自滅。柱が2回もぶっ飛んだ。

*星のみずうみ
私のスピードが失速状態になったため、周りをぶちこわしている。

驚くばかりであるが、いつからか私はスピード感が狂ってしまっている。
私は誰の呼吸も読めていないんじゃないだろうか。

2001年11月8日

5日に田嶋先生のリサイタルに行ってきた。
田嶋門下の人2人に出会ったので、一緒に聞いた。
「鷺娘」と「時の庭」という書き下ろしの新作2曲。
プログラムの初めが「鷺娘」。2人の人の前衛的な舞とのコラボだったのだが、この舞の意味がよくわからない。
1曲30分以上もかかる長いもので、こちらはなんとかその舞というかパフォーマンスの意味を読み取ろうとするのだが、「鷺娘」のイメージにどうしてもつながらない。
1曲目が終わったところで休憩となったので、隣にいる彼らに「今のわかった?」と聞いたら、二人ともわからないという。
しかし、鷺を2人で表現するということは、親子ってことかな~。
親子なら、飛び方でも教えてたのかな~。
そうならば、曲想とばらばらじゃない?
人が出てくると、どうしても動きや表情に意味を見つけようとしてしまうから、疲れるよね
とか、さんざんけなして、でも会場の中でわからないのは私たち3人だけかも。ということになり、私たちはレベルが低いのだろうという結論になった。先生にいつも叱られるわけだよね、と。

ところが、である。
休憩が終わり、「鷺娘」の作曲者前田智子さん(実は演奏中私たちの斜め前にいらした!)が「鷺娘」の解説をします。とマイクで。
終わってから解説もなかろうにと思っていたら、最後に「本日は急遽プログラムを変更して1曲目に「時の庭」をお聞きいただきました」ときた。

・・・・・・彼らと涙を流して声も出せないまま笑い転げた・・・・・

2001年10月12日

ここのところは、降って沸いたように「弟子」ができて、そのお稽古があったり、ボランティアの演奏やら、定期演奏会やらをやっていた。

そんな中で、今までとは違う種類の失敗を重ねている。

今日3年前のMDを聞いた。「こきりこの里」「祭りの夜の幻想」「波光」
今、それをやれといわれても無理かなと思うほど、伸びやかに弾いている。
こきりこなんて、私としたら最高の出来。まず、間違わない。コケない。
それを3年も前に出来たのに、今どうしてあらぬ失敗をしてしまうのだろう。

中根先生の音色は、なんて大人なんだろうと思う。必要な色、長さ、速度を熟知しているという感じ。第3の目を持っている。
完璧にプロとアマの違いである。

今、ここへ来て、とんでもない失敗・・・・・
・爪が抜けそうだの、いすの高さが合わないだの、尺八とのピッチのずれだの、気にしている間に演奏のタイミングをはずす。
・押し手の高さが狂ったのにとっさに修正ができない。
・練習で間違うところを本番でもやってしまう。

こんなことをやってしまう理由のひとつかと思うけど、「たて」になるプレッシャーに襲われるというのがある。
中根先生のカリスマ性は、そこにもあるのだと思う。

その曲のリーダーになったら、やはり絶対に間違えてはいけない。誰がコケても、ペースメーカーとして絶対にたじろがず、対処しなくてはいけない。
そう考えると、本当に厳しいことになる。
「もう失敗は許されないのだ」という思いが頭をもたげた。
不特定多数ではなく、はっきり誰とわかる人間が私の音を聞いているはずなのだ。
「弾ければ満足」では、もうだめなんじゃないだろうか。
そのために、もちろん技術は欠かせないけれど、もっとも重要なのは精神力だという気がしてくる。
技術的に苦手なところなど、すべて克服しなければ許されない。その上で精神的な強さというものを要求される段階に入ったのではないだろうか。
そして、今私にはそれが、精神的強さが不足していると思う。
自意識が弱すぎる。
偉くはないけれど、立派でなければ。
舞い上がってなんかいられない。たじろいでなぞいられない。