1999年2月25日

1999年2月25日

 何十回となくフェスティバルのCDを聴き続けています。
あんまり聴いていると、なんだかこれでいいんじゃないか?とか思ったりして、アブナイ、アブナイ。
ただ、まだ言葉にはならないんだけど、自分のやりたいことがなんであるか、発見したような気がするんです。ボキャ貧としては、ホントに情けないけど、上手い言葉が見つかりません。まだまだ興奮状態だし、なにか階段を一つ上ったような手応えはあるんだけど、言葉という整理がまだつきません。
音楽的に高いレベルの人たちにたくさん会いました。勿論太刀打ちできなかったけど、アマチュア最高峰を目指す者としては、ものすごいところにいったんだと思う。
ガーン!って度胸がついた気がする。
この私が上がっていないんだから。
人様に大手をふってきかせられる出来ではなかったけど、滅茶苦茶楽しんだ。
女史との距離感も少し変わった。今まで遠かったところが近くなったり、近かったところが遠くなったりしている。
CDから聴こえてくる雑音に、演奏中一切気づいていなかったことがわかった。
女史の出とタイミングを計って息を詰めているときでさえ、会場に違う音があったことなど全く知らなかった。ステージの作りのせいとは思えない。
会場にいた人たちは気づいていたと思う。
人間の「集中」というのは凄いことかも知れない。
女史の音を聴いていなければ、当然タイミングをはずすわけだから、それは聴いているんだと思うんだけど、よほどのところじゃなければ、相手が糸違いをしているのも気づいていない。自分の失敗はその場で勿論わかっているけど、女史は私の思ってるとおりに弾いているもんだと思っていた。
何かやらかされた次のこっちの音は乱れていたりするが、弾いている時はなにが起きているのかやはりわからない。お互い顔を見ていないから、音だけで呼吸を合わせているし、それを随分不思議がられたけど、確かに誰とでも出来ることではないと思う。
終わった時の拍手。それは魔物のようだ。
やり終えた安心感やら、疲れやらで頭の中は真っ白だから、これもステージ上ではよくわかっていない。「拍手がきた」から「頭を下げる」という機械仕掛けのように無意識に動いている。
それが、今CDを聴いていると、拍手と共に感動が湧いてくる。
なにもかも、これがどういうことなのか、今は分析できない。