第6章 才能 自信 オンリーワンということ

1999年3月4日

1999年3月4日

2月27日は観梅でした。
飛鳥の夢(宮城)17絃
訪れ(栗林秀明)
うわさの二人(宮田耕八朗)の3曲。
暇でした。「訪れ」と「うわさの二人」、ハチャメチャ。揃わないことこの上なしで。
「飛鳥・・」は筝4人尺八3人いるので、やっぱり気が楽です。良くないことだけど。
2巡したので、「訪れ」をもう一回やれた。
午後2時頃で、暖かく、梅もよく咲いていて人出も多くなって。
舞台に座った瞬間二人の間が通電された気がした。やっと思い通りに弾けた。
どんなピアニッシモも、ハーモニー完璧。
客がいるとこうも違うのかと驚いたけど、見ている人から莫大なエネルギーを貰うんだと思う。そうなれば、気持ちいいわけですよ。

1999年2月26日

1999年2月26日

 まだまだフェスティバルの話は続く訳で・・・・・・。
永子さんとの電話から・・・・・・
あたかも一人の人が全部弾いているのではないかと思える流れがあるという。
私自身、そう思えることがあった。
呼吸が合うなんてのは基本形で、プロなんかみんなあたりまえにやっていることだと思っていたから、大したことじゃないと思っていたが、呼吸以上というか、それ以前のものだと考えたら、やはり普通には出来ないのかもしれない。
同じ絵を描いていなければ絶対に無理なのだ。
あの日、何の無理もなく同じ絵を描けていたから、あがることもなかったし、周りの雑音も気にならなかったのではないんだろうか。
PM6:50 テレビ
 「自分の才能を磨くことです・・・・・・」
 これって・・・・・・・・・
私は自分に才能がないと思っている。それがないから、こつこつと独自の練習を重ねて勝ち取ってきた。そのことがむしろ私の自慢だった。
苦しんでる最中は、才能のなさを嘆いているし、もしあったらなあ、なんて情けないことを考えたりもするけど、だからこそ頑張んなくっちゃって思うことができるから、それはそれで幸せだった。
だけど、頑張れることも才能だとしたら・・・・・・
頑張るべき理想を発見することも才能だとしたら・・・・・・
少し思い違いなり、自分への過小評価のし過ぎなり、あったとしたら、それは美しくない訳で。
自意識の持ち方、自分を見つめる角度、少し変えてもいいのではないかと。
なんか、少し自信を持ってもいいのではないかと。

1999年2月25日

1999年2月25日

 何十回となくフェスティバルのCDを聴き続けています。
あんまり聴いていると、なんだかこれでいいんじゃないか?とか思ったりして、アブナイ、アブナイ。
ただ、まだ言葉にはならないんだけど、自分のやりたいことがなんであるか、発見したような気がするんです。ボキャ貧としては、ホントに情けないけど、上手い言葉が見つかりません。まだまだ興奮状態だし、なにか階段を一つ上ったような手応えはあるんだけど、言葉という整理がまだつきません。
音楽的に高いレベルの人たちにたくさん会いました。勿論太刀打ちできなかったけど、アマチュア最高峰を目指す者としては、ものすごいところにいったんだと思う。
ガーン!って度胸がついた気がする。
この私が上がっていないんだから。
人様に大手をふってきかせられる出来ではなかったけど、滅茶苦茶楽しんだ。
女史との距離感も少し変わった。今まで遠かったところが近くなったり、近かったところが遠くなったりしている。
CDから聴こえてくる雑音に、演奏中一切気づいていなかったことがわかった。
女史の出とタイミングを計って息を詰めているときでさえ、会場に違う音があったことなど全く知らなかった。ステージの作りのせいとは思えない。
会場にいた人たちは気づいていたと思う。
人間の「集中」というのは凄いことかも知れない。
女史の音を聴いていなければ、当然タイミングをはずすわけだから、それは聴いているんだと思うんだけど、よほどのところじゃなければ、相手が糸違いをしているのも気づいていない。自分の失敗はその場で勿論わかっているけど、女史は私の思ってるとおりに弾いているもんだと思っていた。
何かやらかされた次のこっちの音は乱れていたりするが、弾いている時はなにが起きているのかやはりわからない。お互い顔を見ていないから、音だけで呼吸を合わせているし、それを随分不思議がられたけど、確かに誰とでも出来ることではないと思う。
終わった時の拍手。それは魔物のようだ。
やり終えた安心感やら、疲れやらで頭の中は真っ白だから、これもステージ上ではよくわかっていない。「拍手がきた」から「頭を下げる」という機械仕掛けのように無意識に動いている。
それが、今CDを聴いていると、拍手と共に感動が湧いてくる。
なにもかも、これがどういうことなのか、今は分析できない。

1999年2月23日

1999年2月23日

 フェスティバル、終わっちゃいました。
とにかく、スタッフ完璧。会場完璧。司会完璧。
音響のことなんて、全く気にする必要もなく。
舞台監督の大塚さんの指示通りの位置へ筝を移動したら、パシーンと音が響くんですワ。
最初、女史が客席まで降りて、指示してたんだけど、大塚氏、「経験からいくと、その位置では音が・・・」と言いかけたので、「バラけますか?」とたずねたら、「ハイ・・・」と。
女史は女史で良かれと思い、自分でやろうとしたんだろけど、いつものステージのスタッフたちとは段違いにプロが揃っているわけで、その辺、女史ちょっと勘違いしてた気がする。
出番直前に舞台へ出て行こうとするし、大塚氏に「何しに行くの?」ときかれても無言。女史は女史なりに舞い上がってたのかなあ。
 演奏始まって・・・・・・・・イロイロ・・・・・
協賛のパイオニアがCD作ってくれました。

1999年2月19日

1999年2月19日

 ただ今、独りです。夕方まで永ちゃんがおったのですが、ただ今、独りです。
どうも、アタシ怖いみたいです。明日が。
出来るんですかね、思い通り。
やれるんですかね、思ったとおり.。
通せるんですかね、オンリーワン・・・・・なんてカッコいいこと。