第4章「お筝がくれたお免状」

1997年1月30日

1997年1月30日

22日は塚山。女史はお休み。
女史と二人でやる予定の「花と風の物語」。まだ一度も合わせておらず、不安です。
少しづつ他の人の音が聴こえるようになってきて、自分の演奏も手と目が別々に動くようになってきて。となると、新たな恐怖が湧いてくるのです。
弾きながら譜面の先を見ることが少し出来る様になったのは、すごく楽になったということなんだけど、人の音が同時に耳に入ってくる。すると、誰かがいい音出しても、あるいはトチっても、どっちに対してもドキっとするのです。
この段階を完璧にすると、全体の音を外側から捉えることが出来るらしいのですが・・・・・・。

1997年1月7日

1997年1月7日

年が明けました。

例の「海の青さに」以来、痛みの取れない腕をごまかしてきたけど、耐えられず、持病みたいになるのも困るので、昨日賀詞交換会の仕事の後マッサージに行ってきました。
 

 

ちょっとやる気の起きない日を過ごしていましたが、本日はとりあえず3時間。
この間女史に 全部の音の粒が揃ってしまっているから腕を壊すんだと言われ、気になっていた。
「花と風の物語」をやってて自分で自分の音が幼く聴こえて、途中で投げ出したい気分だったので、言われたことは胸にこたえた。
平均して同じ強さで弾いているから幼いんだということはわかった。
でも、どうすればそこから抜けられるのかわからないし、自分ではどの音もはずせないという感覚だったのだ。
3日の浦安で仕事のあった時も「篝火」の一番苦手なところ、どうしてものりが悪い。女史が弾いてくれたら急に音楽に聴こえるのだ。ショックだった。

今日、定期演奏会のときの「鯱の城」のテープを聴いていたら、”復興の喜び”の部分の音が鮮明に聴こえる。自分では軽く流していた気がするのにである。
結局リズムの頭だしの後、力を抜ければいいのだ。
音がすべるのが怖いのと、聴こえなくなるんじゃないかという不安で、やたらと声を張り上げて、小学生の唱歌のようになっていた。
力を抜くこと。絃を”弾く”のではなく爪を当てるだけの音が必要なんだと思う。不完全だけど、それをやる方が歌えるんです。少し音楽に聴こえるんです。・・・・・・デリケートじゃなかったんですね。

1996年12月10日

1996年12月10日

ここのところ、お休みが多くてつまんない。
同時に回りの人たちへの不満が出てきている。
なんか、みんな真剣に取り組んでるんだろうかなんて疑問がわいてきて。
人のことを言える立場ではないけど、アンサンブルを組んでるのに、それぞれ勝手に演奏しているグループとか、終わったときに首をひねって帰る人とか。

1996年12月5日

1996年12月5日

昨日は塚山。
どの社中も都合がつかないというので、絃方は私一人の参加となった。「子供のためのラプソディー、華紋、花と風の物語」に加え、「春の曲」で。
勿論全部合奏曲なので、出来る限り17絃と、自分以外のパートに目を通して行ったが、そう簡単ではなかった。どの曲も速いし、細かいので、みんなしてフーフー言いながら、いつもより更に疲れた。
しかし、二年前の私では考えられないことだけど、何だかんだ言いながらも、3時間ちゃんと練習になった。
人間って、変われるものなんだと思う。

1996年12月4日 「観梅」

1996年12月4日 「観梅」

「わらべ唄、子供のためのラプソディー、荒城の月、華紋、
谺の唄、花と風の物語、鶴鳴調」
観梅の候補曲です。