第4章「お筝がくれたお免状」

1997年3月18日

1997年3月18日

10日も経っちまって。「マリーンラブ」の方は少しづつ進めています。 前みたいなファイトもなく、ステージの予定もなく、体力もなく。突貫作業はやめることにしました。それによる実りが少なくなってきましたので、のんびりやることにしている今日この頃です。

「マリーンラブ」1997年3月8日

「マリーンラブ」
1997年3月8日

やる気のない日が続いている今日この頃ではあります。
注文してた「マリーンラブ」が手に入りました。
ところが譜をみてギッチョンチョン。初手から98%左右両手で弾くんですよ。尺八なしでも弾けるようになっているようで。昨日やってみたけどそりゃもうパニックさ。
左手が全く動かず、リズムが取れず。あまりにもできなくて悩んじゃいましたね。
夕べは曲が頭の中でぐるぐる生き物ののように回ってとにかく眠れないんですワ。
少しづつやればなんとかなる、みたいなものじゃなくて、自分の中のリズム感の欠落。右脳の脳死状態という辛さ。
投げちゃおうかとも思うんだけど、少しでも出来れば、左手、右脳の訓練になるのではないかと。
投げ出してても結局気持ちはそこへ行っててなにやったって落ち着かず。

1997年2月18日

1997年2月18日

 観梅終わりました。ドーっと気が抜けています。
当日、朝から大雨で、超寒くて。・・・・・・悲惨でした。
すごい湿気で、音はこもってるし、三村氏の糸切っちゃったし。女史があんまり乗り気じゃないみたいに見えて、なんかメタメタになってしまいました。
矢部氏に本日の出来は何点?と聞かれて、45点と答えたら、厳しいねと言われたけど、結局物理的な条件にたじろいでメタメタになるようじゃだめだと思うんだよな。
人のせいにしたり、天気のせいになんてしてるうちは、まだまだ。だってその条件の中で、中根先生の音は全く不安がないんだから。

1997年2月13日

1997年2月13日

昨日はそんな調子で行ったせいか、いまいち盛り上がらず。
「花と風・・」で、女史に一箇所緩めて欲しいと言ったら、その前のアッチェルがあの速度なら、そのあと緩められないよ!と攻撃を食らった。ウ、ウ。
今日練習してて、すくい爪の弾き方を変えたら、どうも音が弾みすぎる気がして考え込んでた。思うにすくう前の音をたっぷり取ればいいんじゃないかな。
ふとそれができた時、弾みすぎてなくて「ツ」と「ル」が一体化して聴こえた。

1997年2月12日

1997年2月12日

先日女史と電話で話していて、小さい音でも鮮明であれば、ちゃんと聴こえるんだねって話をしたら、中根先生が、
****どんなに小さな音でも、芯のある音は会場の隅まで聞こえるし、大きな音でも芯がないものは通らない****
といっていたと言う。ああ、それなんだなと思った。
一つ一つ気づいていくのは時間もかかるし、とにかくパワーがないと。焦りを覚える。
先のことなんて考えても仕方ないけど、死ぬまでにどこまで前へ進めるんだろう。諦めることだけはしたくないけど、”なんぼのもん”になれるんだろう。
 ”できるオンナ”になりたいナ。
 

 

矢部氏も田嶋先生のところへ通い始めてるらしい。
女史とか中根先生とかもそうだし、そんなん、距離が縮むわけないじゃん。勿論、だからこそ私は勉強になるんだけど、切ないよな。
「飛騨によせる三つのバラード」とか聴くと、メチャ大人って感じで、とてもとても近づくことすらできない。私なんかが、今いる位置の果てしない低さを感じる。
なんかこう、スラスラというか、スイスイというか、画期的に出来る様にならんもんかなあ。
いつか見たUFOにお願いしときゃよかったよ。
今日練習だっちゅうのに、落ち込むよ。熱もあるしさ。