第3章「海の青さに」絶望と覚醒の中で

1996年6月27日

1996年6月27日

楽譜がないのと、曲目がはっきり決まらないのとで、暇だもんだから、書いてばっかりいます。
今「子供のためのラプソディー」を聴きまくっています。聴きながら、曲のイメージとか、多分自分が弾くことになるのではないかと思われる部分の手法とか想像しているんだけど、聴けば聴くほどはまり込む曲で、更には聴けば聴くほど難しそう……と消え入りそうになります。
テープをずっと聴いていると、テープの通りにしか弾けなくなるんだけど、テープ抜きの段階に入ってしばらくすると弾けないところとか、イメージが湧かないところなんかが出てくる。
時間をあけてもう一度テープを聴くと、ふっと意味がわかったりすることもあるし、ああ、ここは少しリタルダンドているんだと再発見することもある。
まだまだ自分の感覚だけで、とか譜面を見ただけで曲想が掴めないです。悔しいことだらけです。

「こだまの詩」
尺八の音が切ないです。
音楽の中では歌が一番好きだけど、楽器の中では管楽器が好きです。肉声に近いからだと思う。だからこの曲のように尺八がいいメロディーラインを持ってると泣けてくるんです。やってみたいよー。
それと17絃の低くて太い音。たまらないですよ。
 「華紋」
二筝をやってみてるけど、やはり華になるパートはその分難しい訳で。それをやろうとするのは無謀な訳で。キャイーン。
久しぶりに生みの苦しみを味わっております。
育てて大きくすることが本当は一番大変なんだけど、まず生まなければ育てることもできないっす。……生めないかも。

****努力することです
 自分を信じることです
 そうですね、始めてしまったんですよね。

 我といふ人の心は唯一人
 我より外に知る人はなし

1996年6月26日

1996年6月26日

雨コンコンです。なかなか正しい梅雨してます。
今、「華紋」に挑戦中です。難しいけど、二筝やってみたいな。
そう言えば、尺八もやってみたいな。三絃も、17絃もやってみたいな。誰か教えてくれー。
定期演奏会で、古曲とか聴いていると、お筝らしいなあと、つくづく感心するんだけど、なんか自分の中では違和感があるんですよね。
どうしてかなと思ってて、気付いたこと。
私はお筝が好きというより、音楽が好きなだけなんじゃないかと言うこと。
だから、お筝でどんなことができるのか試しても見たい。洋楽の人とセッションするって、どんな感じなのかな。音楽そのものが好きな人で、いろんなことやってみたい人っていっぱいいると思う。
インターネットで探したいとは思っているんだけど、ホームページを作るところにさえ行っていないから。ンー、なんとかせねば。
林氏が、古曲は三絃があれば三絃に合わせて吹けばいいけど、新曲はどこに合わせていいか分からないと言っていた。そういえば、その辺深く考えたことがなかったけど、新曲と言うか、現代曲は自分でやって見て、各々のパートが独立していると思ったことがある。   伴奏というより、そんな言葉はないんだろうけど、共奏的な。それぞれが自分の立場を持っているから、ここ一番、私の音を聴いて、みたいなところがどこかしらにある。その代わり誰にも頼る訳には行かないと言うことだ。だから私は面白い。尺八にしたって決して添え物ではない。一緒に演奏していると感じられるからいいと思うんだけど。

1996年6月25日

1996年6月25日

「祭りの終わった日」って倉本総のテレビドラマがあったけど、今そういう気分。
ずっとお祭り続いていればいいのに。
子供の頃、秋祭りを楽しみにしてて。振り袖着せてもらって、夜店を見に行って、毎年壊れてしまうのが分かっているのに水飲み鳥を買ってもらってた。お店の灯りがキラキラしてて、知らない人が急に沢山歩いてて、少し恐いんだけど、ドキドキして楽しくて。
だけど、2日間のお祭りが終わった翌日、学校に行く時に見る夜店の後片付け。急に秋風が冷たく感じられて淋しかった。
今、そんな気分。