第3章「海の青さに」絶望と覚醒の中で

1996年7月4日

1996年7月4日

三村氏が定期演奏会のときのテープをくれました。
自分のアラが良く見える。ところどころ、ちょっといい音出せてるところもあるんだけど、全体に音に余裕がなくて、山谷さんの言うところの音が「立って」いないんです。一拍なり、ワンフレーズなりをたっぷり弾けていないんですよね。曲が痩せ細ってて。
小田女史の音は、エコーでも掛かってるかと思うほどスーっと遠くへこだましていきます。
錦秋をやってて再確認したんだけど、指がへなへなしてて、特に人差し指が型を決めていられないんですワ。だからここぞと言う時音色の大きさというか、強弱が違って聞こえて、意味が変わってしまうんですよ。
それと、すくい爪を勘違いしているみたいで、プロのテープとは違って、超ダサイ。
自分ではすごく丁寧に弾いていたつもりでもプツプツ切れて聞こえたり。強弱もつけた積もりなのに、メリハリがあまりない。実際弾いている時はすごく速くなっちゃたかなと思っててもテープで聴くとそうでもなかったり。
トレモロで音が移動する時の繋ぎが目立ってしまう。そんなこと、あんなこと、うまくやれる人はやれる。なんとかしなきゃ。

1996年7月3日

1996年7月3日

 「華紋」く、く、苦しいでぇす!
前半の一番細かいところに引っかかって半べそ。
しかし、夕方になって、急にパカンと抜けました。ウッシッシ。できたモン。いやあ、長い道程でした。今、死ぬほど腕が痛いです。やっぱじょんがら、錦秋、華紋の連チャン4時間はきついかも。
しかしホンマ、ウレシイワ。努力することですとか、信じることですとか書いて来たけど、弾いている時の自分って理屈飛んじゃってる。それも嬉しいかもしれない。
みんなこうやって、一つづつ開発して来たんだろうな。やっぱり無条件でコツは教えたくないよな。そこへ行き着くまでって苦しいモン。
ほんとほんと、今、至福の喜びってやつですか?

1996年7月2日

1996年7月2日

くらら能楽堂から丁度3年。なにが丁度だかわかんないけど。
仕事してた時、最低3年はやらなければ、仕事も人も理解し合うことは出来ないと思ってがんばった。
しかし、今日までの3年は少し違うな。夢中で走り続けた3年だった。期限はつけなかったけど、敢えてつけるとすれば、「死ぬまで」かな。
走らせてくれた三曲会、三村氏、小田女史に感謝。
いつもいつも「今」が大事になっていた。「この曲」が大事だった。自分と戦えた気がする。自分の限界を少し伸ばせた気がする。
小田女史は私より10歳下。逆算したら、私は彼女の3倍の速度で進歩しなければ、何も出来ないまま死んじゃうと思った。だから、女史の5倍は練習しなくちゃって。
幸い、時間の余裕だけは持てる立場になった。全てがチャンスだったんだと思う。10年間、洗濯物を干しながら、「埋もれたる天才、ここにあり!」と叫び続けたあの頃。どこかに私を必要としてくれる人がいることを、必要とされる場があることを望みつづけた。
これをやるために生まれてきたんだ、と思えるものが欲しかった。
今、私が必要とされているかどうかは疑問があるけど、私自身の方に必要なものができた。
自分を試せるのだ。自分の力を、心を、限界を試せる物ができた。とても素敵です。
……がむしゃら、無我夢中、一生懸命、真実一路、真摯、たぎる心、全力疾走、無心、情熱……どれもこれも人に言ったら「まだ青春やってんのか」って言われるかもしれないけど、好きな姿勢です。
自分に自信が持てなくて、全部避けて来た姿勢だけど。今更みたいだけど、やっぱり私一生青春やっていたいです。
ぼんやりと、ふわふわと生きていこうと決心した日もあった。中庸になろうと思った日もあった。
だけどそれじゃ命もったいない。燃やして生きていくんじゃなきゃ、私かわいそうだ。
 思い続けていれば、必ず願いは叶う。

1996年7月1日

1996年7月1日

「子供のためのラプソディー」を央子に聴かせた。すると第1楽章から第4楽章まで全部に溢れんばかりの印象、感想を言う訳です。
……ああ、この人は旅をしていたんだ。自分自身を見つける為に。色んな国を渡り歩いて来たけれど、ロシアまでたどり着いた時、巡り歩いた国々の思い出が全部蘇ってくる。そして、それら全部が自分自身だと気付く……
子供の頃音楽鑑賞で、感想を言わされたり、書かされたりしても、よく誉められた。
けど、木は木にしか見えないように、曲を聴いても今や央の様に空想できない。勉強し続ければ、技術は多少なり身につくだろう。しかし、央のような湧き出る思いが、今少し足りない気がする。

1996年6月28日

1996年6月28日

前に阿東先生や中根先生に誉められたと書いて、一人で喜んでるんだけど、あれ、ちょっと違うみたい。
例えば、あの席で小田さんのことは誰も誉めない。なぜなら小田さんは「上手い人」であって、「今上手くなった人」ではないからなんだよね。今更わざわざ誉めるのは、かえって失礼な訳で……
公然と誉められるということは、とてもとても未熟なことなんですよ。
だけど、たとえ「あそこ間違えたね」であっても「出が遅れたよ」であっても、今の私には人に自分の存在を意識されたと言うこと自体、格段の進歩なんじゃないかと。ま、結局喜んでいるんだけどね。
やっぱり焦らず、驕らず。ですね。