第2章「EMOTION」 野心

1995年12月1日

1995年12月1日

####音の響きに関して。
ポイントを押さえた上でだけど、絃を揺らすと、かなり響く。いつ揺らすかは、下手にやると汚いので、注意が必要である。

最近思う事。
何かに負けたと思う時、
それは決して他人に負けたのではなく、
自分自身に負けたのだという事。
特に相手が私と勝負してるなんて思っていない時。
人は、結局自分としか戦っていないのじゃないか。

今「篝火」の練習中。
弾いても弾いても満足出来ない。「自分」が定まっていないのだと思う。みんなそれぞれ、何らかの形で指導を受けてたりする中で、それがない私の場合、今のところ仕方ないか。自分で出来る時なんて来るのかな。

1995年11月20日

1995年11月20日

10日の一等星のステージはすくい爪が全然引っかからなくて 困りました。全体として、どうもここ一番と言うところで、貧弱にまとまってしまう気がする。小田さんの音に対し、響きが足りない感じで、どうにも情けな い。
18日日本文化交流会では、BGMのありかたを、みんなから教わった。
「六段」にしても「千鳥」にしても、静かにゆっくりと流してい く。着付けの説明に呼応するような演奏となったが、すべて山谷さんや、小田さんのとっさの対応である。
だが、弾いているうちに全体の流れ、会場、 客の反応、その中にいる私たちといったものが見えてきて、生演奏のBGMの凄さを感じた。
山谷さんの英語での解説。これもまた味わい深く、素敵な 英語で楽しく、絶品である。
みんなの芸の深さには感動してしまいます。
正統派の演奏会では得られない充実感がありました。

1995年10月31日

1995年10月31日

11月に一等星のステージと、日本文化交流会(着付け教室)のBGMを、と言われている。
やる曲は大分あるんだけど、これと言っ て目新しいものがないんですよ。そこそこ弾けそうな曲ばっかりなもんで、急に意欲が湧かなくなったというか。
そんなこんなしてたら、どの曲もなん か中途半端でまともにゃ弾けていなかったりして、ますますやりたくない感じになって。
「こ手毬」と「篝火」を、「やったことないよー」の一言で降 ろされましたが、受けときゃ良かったと、後悔しています。

####

結局私は鈍いんですね。何度もやらないと、どう も理解できないらしいんですよ。
どうどう巡りしているから、練習に何時間も掛かってしまうんじゃないのかな。
最近は少しズルくなって、あ る程度練習したら、止めて別の曲に移るんです。時間を置いてまたやってみる。
あんまり集中しすぎると、却ってその曲が見えないのかもしれないと思 うんですよ。だから、毎日少しづつ。
ま、色々やって見ますよ。歳をとるたびに自分の「馬鹿」を発見してしまいます。課題ばかりが増え続けます。

**** なぜ、人はあがってしまうか
山谷さん:良く見せようと思うから
小田さん:技術を誉められようと思うから****