第2章「EMOTION」 野心

1996年5月23日

1996年5月23日

山谷さんから、横須賀でのコンサートと、アメリカの演奏旅行の誘いがあったが、両方とも断りました。お金の面もあるけど、まだ大きなコンサートや外国まで行ってやれるような自分への確信がない。まだまだ勉強し足りない。

1996年4月22日

1996年4月22日

集中力って何だろうと思います。
歌っていた頃、芝居は、我を忘れて。歌は自分を見失わないで。と言われましたけど。
自分の腕というか、パートに対しては、絶対の自信と確信を持っていなければいけないけど、全体を聴く力がなければ、合奏がメチャクチャになる訳だから、散漫と言うのは変だけど、広く聴く耳がないといけない。
「鯱の城」も例の復興の喜びの部分、思いがけない弾き方を言われた。「篝火」二筝の速いところ、音がなっていない。なんか、くやしい。

1996年4月19日

1996年4月19日

先日お稽古に行ってきました。
三人で合わせたくて、もう胸がドキドキと言う感じ。
まずは「EMOTION」から。
やっぱり彼女に打ちのめされました。響くんですよね、音が。
遠慮して弾いてたら、ズタボロですよ。
テープを聴いて、初めに二筝はもっと出てもいいんじゃないかと感じたんだけど、何度もやってるうちに二筝は二筝の役割があるのかも、と思い始めて、だんだんそっと弾くようになっていったのですが、いいんですよ、自分の耳を、心を信じて。

1996年3月28日

1996年3月28日

13 日に練習。「風になる瞬間」は、みんな初見のためボロボロ。次回に持ち越しとなりそうです。
同13日、新しい曲を貰いました。
「EMOTION」と「編曲民謡調」
どっちも洒落ててカッコいいです。楽しみです。

####「炎」をやった日から、考えてみるとたった一年しか経っていない。
心中複雑である。良くやって来たなって気持ちと、何をしてたんだろうという気持ち。
たった一年で、今少し情熱が失せている自分。
理由は色々。やはりメインで弾いてみたいという野心と、それは全然無理だという理性と、中音の高さの方が好きだという気持ちと、いつまでも介添いじゃつまんないという思い。

 10日は永子の入学式。
各先生達の祝辞だけという、ごくシンプルな入学式だったのですが、それぞれの挨拶の素晴らしかったこと。覚えている物を書いておきます。

*俳優江守徹に、演技論を話して欲しいと言った時の返事。「自分の演技が自分の演技論だ。語ることは出来な い」

*インスタントで済ませたら、スコーンの真ん中にナイフが入らない。プロセスを抜いてしまったら、簡単に出来上がっても美味しいスコーンにならないのです。
手間暇掛けて、思い悩んで結論を出した時、初めてその人それぞれのコツを掴むことが出来るのです。

*必要なことは、テクニックと理論、そして感性です。

*趣味で終わらないでください。一歩進めてプロになれ。
その為に、耳をそばだて続けてください。

*知ることは、知ったものを好きにさせてくれますが、「好き」で終わるのではつまらない。知ることによって「楽 しく」なるところまで持っていって、「プロ」なのです。

*70年代の音楽が、今更の様に流行っている。
パソコンのキーボードを叩きながら録音に携わっている今日、NHK交響楽団の昔ながらの録音風景を見て、 なんて音楽的なんだろうと思った。
これから勉強する中には、古いんじゃないの?と思えることが沢山あるだろうけど、君達にとって、それは 70年代の音楽の様に新しい発見となるかも知れません。

* なぜ?どうして?と思う心を忘れないでください。
私のほうがかえって感動したかもしれません。

*テレビで……
浅井慎平
表現するというのは、対象との距離を詰めていくことです

私の不安、迷いを、なんか全部解消してくれそうな言葉ばかりです。

「EMOTION・編曲民謡調」1996年3月8日

「EMOTION・編曲民謡調」
1996年3月8日

三村氏から先日電話。次の曲を決めてもらったら、少し元気が出てきました。
そんなに惚れ込んでいるなら、と「風になる瞬間」を入れてくれたけど、三音で和音に終始していて、もう手の筋はつりそうだし、手首は痛いし、肩が凝って歯が合わせられないし。どうしよ。