1998年2月21日

1998年2月21日

この間の続きなんですが・・・・・・
私、やっぱり変わったよ。すんげえ上手くなった。
自分がなにをやっているのか、弾いててわかるんですよ。
譜を追ってるんじゃなくて、音楽やってるんです。
だから、他の人がなにかトチっても許せちゃえる。だからたじろがない。
ある段階のメンタルな極地にやっとたどり着いたって思う。
弾きながら、心の中で遊んでる。

・・・・・・てなことをのんきに考えてたら、私の求めてるものってこれかなあという文章に出会った。
老子の第7章より(加島祥造訳)
****この天地は悠久無変のように見えるが、それというのも、絶えず変化して、新しくなり、更にまた変化していくからなんだ。
  自我なんかに執着しないで、この悠久の変化に応じてゆけばいいんだ****

個性とか自我とかって、なんなんだろうってずっと思ってきた。「私らしい音」とか言ったってそれがなんなのかわからずにきた。
天地に身を委ねて、その中で今必要な音というのは、いつも一つのように思う。弾く人間がどれだけその流れに溶け込んでいけるか。
こんな風に感がえるほうが、私にとっては自然な気がするし、そういう考え方は、私には一番楽だと思う。
観梅で小規模ながらもやれたことは、これだったんじゃないだろうか。