1997年6月3日

1997年6月3日

5月28日は塚山で三村組の練習。
いやはや、参ったね。橋澤氏、もう意気込みが違っちゃってるんですよ。浜さんグループの時も「早く五段(砧)やりたい」とは言ってたけど、「東風夜曲」の中の三連符についてお筝を弾きながら説明していたら、橋澤氏、目を輝かせて、乗り出して聞いているんです。
ましてや矢部氏に至っては、女史とやる「哀歌」命と言う状態らしく、女史の音と絡み合い、時にほぐれてまた歩み寄ろうとする。女史は思いのままに弾いていられる。
「哀歌」の意味がやっとわかった。
技術なんてどうでも良くなった。女史の手なんて追う必要がない。目を瞑り、その世界へ飛び込んでいける。
初めてお筝で泣けた。
残念ながら、矢部氏はぎりぎり理屈で近づいた感はあるのだが、さすがと言うべきでしょう。
あの時のあの二人には誰も立ち入れない世界がありました。
いいですね。そんなふうになりたいです。

このごろどの曲をやってても、弾いているうちに心の中からウキウキしてくる。
へたすると、ニンマリしながら弾いている。
できたとか、出来ないとかじゃなくて、楽しくなってくる。
そういえば、だけど
田嶋先生の門下生の発表会、嬉しいお誘いは嬉しいと同時に地獄のように怖いことな訳で。そんな気分の時にあるアドバイス。

*****もし、失敗したとしたら、そこに参加するのがまだ早かっただけのこと。むしろ時期を見極められずに誘ったひと人の失敗なんだよ。*****

私は、自分の今ある力を思いっきり発揮するだけでいいんだ。それをどう見るかは、見る人の自由。私は私でありさえすればそれでいいって。感動です。