1996年2月20日

1996年2月20日

18日の観梅会は、雪のため中止。ゲッって感じですが、中止でした。

####急な話ですが、今蟻地獄状態。
なんでお筝なんて弾いているんだろうって。
そんな事考える理由も分かっているし、それだって、ここ数日のことなんだけど。
とてもとてもおこがましい話なんだけど、なんか自分は芽が出なそうな気がしたのです。
周りの人達が、「頑張ってるね」「凄いね」「どうしてそんなに一生懸命になれるの?」って言ってくれてたことを、少し勘違いして解釈してた気がするんですね。
勿論初めは、こんな資格も持たないまだまだ未熟な私でも、頑張る気持ちだけはあるんだぞ、前に進もうとしているんだぞ、だから、自分の腕はここまでだ、なんて決めて諦めちゃっている人達、一緒に頑張ろうよ、なんてさ。殊勝ぶっていたんですよね。
殊勝だったんじゃない。殊勝ぶってただけなんだって、ここんとこ、気付いてしまったんですよ。
大体、「まだまだ未熟」ってあたりが、既におこがましい。
「まだまだ」ってことは、これから上手になるって事だよ。無意識にそういう高飛車な心根が初めからあったんですね、こりゃ。そしてその「がんばり」みたいな物を、みんなに見せ付けて、「すごいね」とか言わせて、そしてそして、誉められた気でいた。上手だと誉められた気でいた。
だけど、実際はどうなのよ。いつもいつもメインの人の後ろで介添いをして、生かさず殺さずの音を出して。一人じゃ何にも出来ないくせして、ちっとは目立ってるかな、なんて思い始めていた。ところが、よくよく考えてみると、私と一緒に演奏したいって人もいなければ、いい音出してるねと言われもしない訳だよ。
どういうこっちゃ。
どうなってんだよ。みんなどう思ってたんだよ。どう思ってるんだよ。
あれ?ってなもんですよね。もしかして、思い違い?思いっきり勘違い?とハラハラ分かったんですね。
中根先生の「互角よ」も宮川氏の「自分の音出してるよ」も、実は、やっとつかまり立ちした赤ん坊に、「あんよは上手」状態だったんですよね。
頭の一方で、全く初歩だということは分かっているんだけど、他方というか、自分の中の自分が、私は上手いと思っちゃっているんですよ。だから、なんか色々腹が立つ。目立ちたがりの自分がムクムク起き上がって。
今のところ、「こんな気持ちでいるからこそ芽がでないんだよ」って思えているけど、恐いよ、このままだと。
張り子の天狗…なんてあるのかどうか知らないけど、そんな感じ。水でもかけられたら、そんな鼻なんていっぺんで溶けて落ちてしまうのに、やたらどんどん高くなっていいきそうで。
あぶなそうなところからは逃げそうで。
三村氏から電話で18日中止になって気が抜けていないか。次の曲好きな物選んで。と励ましも含めた話をしてもらって、今筝のテープを流して初心に帰ろうとしているけど……無心になりたいです。なれる人間になりたいです。