横浜栄区演奏会

今年から栄区の三曲会に参加しています。

先日11月3日は、栄区の秋の文化祭で演奏して来ました。
1曲は水野利彦さんの「編曲民謡調」で、これは懐かしい曲。

もう1曲が、沢井忠夫さんの「千鳥幻想」。
初めてです。
基本的に沢井曲はあまりやっていないのと、この曲は17絃とお筝1パート。本来は1対1で演奏するものなのでしょうが、私が17絃でお筝が8人という編成でした。

沢井さんの曲は、飲み込むのに苦労しました。
譜面の字面で判断するのは無理な気がしたので、結局CDを購入することにしたのですが、現在普通には売ってなくて、インターネットで探してもらいました。

聴いてみると、やはり譜面を見るだけでは想像しきれないものがありました。
独特な曲想だし、沢井一恵さんの17絃はきわめて個性的な演奏です。
あんな表現は、とてもできるようなレベルではないのですが、とりあえず、真似っこから。

低い音の押し手がたくさんあるため、椅子に座っている暇がありません。
仕方がないので、立ち立奏用の立奏台を作ってもらいました。

しかし、本番立ったままでの所作がいまひとつ決まらなかった気がします。
特に一の糸から17の糸までのテンポ通りのグリッサンドがうまくいかず、コケました。
途中ごまかしながら、2小節後復帰できましたが、冷や汗ものでした。
お筝も、一部間が取りにくかったらしく、ズレが出ましたが、なんとかクリアしました。
1対8で、良く頑張れたなと思います。

私は単独パートなのと、沢井曲のためか、「演奏」の前に「造る」作業が必要でした。
これは本当に楽しい。独特な世界を覗くことができました。

次回の演奏会は神奈川県の名流祭。
着物も、も少しきれいに着たいですぅ。

 

 

よいろの会を聴いて

10月2日、渋谷の伝承ホール。

2回目のコンサートです。

日吉君と澤村君はお友達なので、特に聴き入ってしまうのですが、圧巻でした。
前回も素晴らしかったのですが、確実に厚みを増していました。

日吉君のお筝。切れのいい弾きかたが気持ちよくて、とても惹かれました。
唄も透明感がありながら、良く通る気持ちのよい声。
声は、持って生まれたものですから、これはかないませんね。

澤村君の「さくら変奏曲」の2筝。見事なまでのアンサンブル。
1筝の日吉君が、たぶん完璧自由に羽ばたけていたんじゃないかと想像しています。
澤村君もやはり唄でこちらの心を引っ張ってくれました。
「磯千鳥」の後唄では、本当に泣かせてくれるのです。

彼らは今後、どれほどに大きくなっていくんでしょうか。
邦楽に、真摯に向き合う若者たちです。
頼もしいです。

 

東京江戸博物館 10年後の私へ

先日、東京江戸博物館に行ってきました。

なんとなく行ったわけではありません。
「私」への手紙を受け取るためです。

10年前に義母が脳内出血で倒れ、リハビリ後、横浜に引き取りました。
その義母を連れて、博物館の見物に行ったところ、イベントが行われていたのです。

それは、10年後の自分への手紙を書きませんか?というもの。

今はその企画はなくなってしまったそうですが、すでに書いた人のものは受け取れることになっていて、今年の10月1日で期限が切れてしまうため、その受け取りに。

たった10年。「書いたことは覚えてるワ」と思いつつ行ったのですが・・・・・。
ホント、驚くんでないか? 忘れてました・・・・・。

読んで、一番ショックだったのは
「おことに悩み続けていますか? 少しは上手になっていますか?」と書いてあったこと。

10年前、なにがあったんだろうと思って、この日記を読み返してみました。

悩んでいました。きちんと。真剣に。
そういう時ってそういうもんかもしれないけど、追い討ちをかけるように同時期にいろんなアクシデントが起きていました。
母の死から始まって、義母の脳内出血、夫の発病。私の発病、兄の発病及び死、

今思えば、悪夢のような数年が続いています。

私としては、「まだおことを続けていますか?」と書いたんじゃないかと思っていたのですが、プライベートも、おことも、半端じゃない時期を過ごしていました。

今は、あのころにあった余分な悩みはあまりないのですが、逆にあのころのようにお筝についてきちんと悩んでいない感じがします。
「なにかが見えてきた」部分もあると思うけど、どこかに少し「あきらめ」があるんじゃないかなぁ。

ちょっと複雑な気分です。

 

 

 

利根英法君追悼演奏会を聴いて

昨日は、高円寺にあるスタジオKで、利根君の追悼演奏会を聴きに行ってきました。

進行の芦垣さん(芦垣皋盟氏)が「湿っぽくせず、明るく」とおっしゃるけど、やはりいろんな気持ちになりました。

利根君に最も近い位置にいた人たちの演奏会だからか、そして彼らの「思い」があるからか、演奏の音を聴きながら、また演奏するみんなを見ながら、昨日ほど利根君を思い浮かべた日はないなと思います。

特に「吼噦」は、以前利根君の演奏を聴いているので、目の前で石田真奈美さんが演奏しているのはわかってるんだけど、耳は利根君の音を追ってしまう。
「春の夜」も利根君の好きな曲だったと聞くと、利根君ならどう弾いたかなと、つい影を探してしまうんですね。

「残月」ではついに涙が出ました。

出演者はみんな本当に上手な方々ですが、そのための感動とはもひとつ違うと思います。

彼らの「思い」なんですね。

とても良い演奏会でした。

 

利根君との思い出

今、おうちライブの録音を聴いていました。
いろんなことを思い出します。

利根君が17絃、私がお筝、尺八謙一君でやった
菊重精峰の「夕映えの街~出会い~」。

いろいろ工夫しました。
曲、中ほどからジャズテイストになるのですが、本当はないんだけど、途中、尺八のアドリブを入れてもらったり、一部お筝から始めて同じフレーズを回数多く繰り返したり。
今聴くと、相当かっこいい。息ぴったりのすがすがしさ。聴いてて楽しい。

でも、あの当時、プロとの壁の厚さに心底落ち込んで。
私だけが無駄に熱くなっちゃってるんじゃないか・・・とか、「この部分変更したいんだけど」と言っても、利根君は「そやなぁ」とか「へぇ、わかった」とか言ってくれるんだけど、本当に納得してくれてんのか不安だったり。
糸同士の掛け合いも、練習の都度17絃の表現が変わってしまうのでそのたび探るんだけど、わからないまま本番。やはり練習とは違う表現をしてくる。「うわぁ、私の対応は今いけてんのかなぁ」って、パニック。

あれから3年。今聴いて、めちゃくちゃがんばったことがポロポロ頭に浮かんできます。

利根君の「へぇ、わかった」は本当にわかってくれてたし、掛け合いはお互いがなににも束縛されることなく繋がっていました。

良い演奏だったと思います。今なら。
なつかしく、少しせつなく。

あの時、何も言ってくれなかったけど、もし利根君が私に伝えたいことがあったとしたら、どんな言葉だったのかなぁと思います。

今急にこんなこと書いて・・・とは思うけど、なんか、「今」な気がします。
静かに涙が出ました。