演奏会
なんの記事も書き込まないまま、「湘南の春」、終了しました。
第22回湘南の春
今回のゲストは、日吉章吾さんと阪元沙有里さんでした。
阪元さんは三弦。 日吉さんはお筝で。
うちとは絡んでいないので、すれ違いざま、ご挨拶のみになってしまいましたが。
終わってしまってからなにを書き込んでもちょっとむなしい感じですが・・・・。
当日は今まで経験したことのないようなアクシデントが満載でした。
荷物の紛失、三弦、筝の糸切れ、(特に筝の糸切れは痛い・・・・・)
曲数が増えているため、準備時間や撤収時間がとてもタイトで、楽屋はてんてこ舞い状態。
とうとう客席には行かれませんでした。チラチラ聴けたのはリハのみです。
四季の眺・打波の曲・虫の武蔵野・残光の彼方へ・時刻の砂・七小町・三つの歌
の7曲・・・・でした。
私たちは「時刻の砂」。リハはいつもそうなのですが、客席に人も入っていないので、音が散って不安を誘います。前半は16分音符での細かなピッチカートが多く、しかもピアニシモのため全体が乱れがち。
「お互いの音をよく聴いて」いたいのですが、ちょっとでも気が逸れるとむずかしい。
音が取れなかったら、空気を感じるしか手はありません。
「気」、「気」、「気」。ひたすら「気」しかない。
実際不安と緊張で考え込んでしまいましたが、メンバーがみんな明るく、話のノリがよく、最終打ち合わせの後の楽屋はキャーキャー笑いっぱなし。
力んでいた肩もほぐれたように思います。感謝です。
メンバーの中にも2曲、3曲と出番を持っている人もいて、さらに大変だったろうと思いますが、みんながんばりました。
ん~まだ疲れが残っていて、「次回」のことに頭がついていかないけど、とりあえずのテーマは9月の錦秋の会。個人的には「秋の言の葉」と川村泰山さんの「碧」を予定しています。
田嶋謙一尺八リサイタル
尺八の田嶋謙一さんの初リサイタルのお知らせを頂きました。
賛助に深海さとみ先生、高畠一郎先生をお迎えし渋谷の伝承ホールで開催されます。
曲目は詩曲一番、虚空、鶴の巣籠、八重衣の四曲です。
2014年4月21日
:演奏会, もっと新しい世界
1月16日はみなとみらいのロイヤルパークホテルにて、ある会社の50周年記念パーティーで演奏。
基本的にはBGMなのですが、会場が広く、お客様の人数も多いので、マイクをつけていただきました。総勢箏4人に尺八1人という構成。
祝賀会の合間の演奏なので、とにかく時間がタイトです。
返しのモニターがないため、ホテルのスタッフの「聴こえています」という言葉だけが頼りです。終了の合図も直前でくるので、フェイドアウトしようにもできず。緊張の連続。
ウエルカム演奏のあと、セレモニーが執り行われ、会食と同時にあらためてBGM。
予測はしていたけど、自分たちの演奏は自分たちには良く聴こえず。
かすかな音をつかまえて演奏するしかありません。
精神的にかなりハードな状態が続きます。
最終曲に野村正峰作曲の「編曲長唄越後獅子」を用意しました。
尺八のソロから始まり、いい感じです。
そのあと、17絃が混ざります。
17絃の聴かせどころ。
順調です。
前奏終盤の長いグリッサンド。
思い切り爪を当てた途端!!!・・・・・・・・・!!!
親指の爪が飛びました。(;;)
どう考えても親指の爪無しでは演奏は持ちません。
お箏の出るきっかけの音をむりくり3の指で弾いて、爪探し。
立ち立奏をしていたので、17絃の下を覗き、後ろを探し・・・・・見つかりません。
仕方がないので、演奏は箏2面、三弦、尺八に任せ、ステージを降り、後ろに引っ込んで爪入れから違う爪を出し、再びステージへ。
お箏の手と譜面を見比べ、場所を確認し、復帰。
その後は、やはり動揺があり、思い切った演奏も出来ず。
しかし、再度ステージに戻ったとき、17絃の下に爪を発見した時のほうがもっと動揺してた気がします。なんでやねんって感じですよ。
あるんですね~、あんなこと。起きるんですね~、あんなこと。
録音もしていないので、どんな風に聴こえていたかは確認もできませんが。
申し訳ございませんでした。
「ラブストーリーは突然に」って歌があったけど、ホント、「アクシデントも突然に」です。
反省してます。予備の爪持って出ることにします。
2014年1月18日
:演奏会, もっと新しい世界
昨日は上野の文化会館でSIFFY5のコンサートがあり、行ってきました。
助演者の一人、平田紀子さんからの紹介です。
上野までは京浜東北線で1本で行けるし、会場は駅のまん前なので、方向オンチの私でも楽チンに行けました。(メデタシメデタシ)
小ホールとは言え、大きな会場。なんせ満席。
すごい集客力です。
SIFFY5のメンバーは、砂崎知子、石垣清美、深海さとみ、福永千恵子、吉村七重の各氏です。
今回は西村朗氏の作品5曲のプログラムでした。
っていうか、またしても無知な私は西村氏を存じ上げなく、作風も知らないと言う状態で参りました。
作曲者ご自身がステージ上で曲の解説をなさり、「超難しい曲ばかり」ですと告白なさったけど、本当に曲を理解するのも演奏するのもめちゃくちゃ難しい曲ばかりでした。
ともかくぶっ飛びます。
もちろん私たちが慣れ親しんでいる「邦楽」ではありません。
「洋楽」という範疇になるのかなぁ。
私には摩訶不思議な世界が展開していきます。
少し冷静になって客観的に「感じ」ようとすると、なんか自分が日本人じゃなく、かといってどこの国の人間と言うことでもなく、お筝という楽器を初めて見る感覚に襲われました。
よその国の民族楽器の演奏を聴いてるみたいな感じなのです。
だんだんそれはどこの「国」のものでも良くなって、だから曲が「洋楽」だというくくり方も出来なくなって、しかもお筝であるというこだわりもなくなって、お箏を弓でなぞったり、琴柱の左(本来弾かない)側で演奏していても、もはやそれ自体はどうでも良く、ひたすらつむぎ出される「音」の色や匂いを捉えたくなっていきました。
しかし、その感覚を持続するには初心者すぎてちょろちょろ現実にもどってしまい、フラフラになります。
高いレベルの感性がないと絶対演奏できないと思います。 もちろん、絶対的なテクニックがあってこその演奏です。
聴くほうも理屈じゃなくて、曲が発信する世界をまさに感性で聴いていないとすぐにぶっ飛ばされる訳です。
平田さんにメールで感想を送ったら、「弾くのも聞くのも全力投球!」と返信が来ました。
ほんとです。
平田さんのコンマスぶりも超カッコよく、張り詰めた空気に私も同じタイミングで呼吸してる感じになりました。
午前中栄区の区役所でミニコンサートがあり、早朝からバタバタしたあとだったので、体力全部使い果たした感じです。午後10時帰宅。なが~い一日でした。
2014年1月9日
:演奏会, もっと新しい世界
先日(12月23日)、久しぶりに高円寺のスタジオKでの「ゆる人ライブ」に行ってきました。
2回公演だったので、昼の部へ。
前回利根君の追悼演奏会のとき見つけた「座・高円寺」というホールの中にあるレストランで、ランチしました。
このホールは、来年1月16日、澤村君主宰の「ボイススペース」のライブがあります。
さて、いよいよライブです。
しばらく行かないうちに、出演者の数は増え、コント感満載のものすごいライブに拡大していました。
以前伺ったときは、合間に純粋に「演奏」の時間があったと思うのですが、いつの間にやら演奏者はステージの両脇に陣取り、中央はパフォーマンスのオンパレードという演出になっていました。
池上眞吾さんの作曲、編曲のすごさと演奏者のレベルの高さには、舌を巻くばかりなのですが、なんたってステージ中央で繰り広げられるハチャメチャ小芝居、大芝居に爆笑の連続。
観ながら、聴きながら、こっちも大忙し。
入れ替わり立ち替わりで演奏側に回るんだけど、とにかくみんながみんなレベルの高い演奏者だから、小芝居、大芝居も臨場感が増すわけです。
田嶋謙一君はたぶんほとんどの演出をしていて、自らも「女装で歌う」というハッチャケぶりで会場を笑いの渦に巻き込み、澤村君も日吉君も「ソレデヨイノカ?」と尋ねたくなるようなはじけっぷり。それ以外にも「田嶋謙一オルケストラ」の山田淳平君、深海さとみ先生のご子息の吉川卓見君。と、みんな知ってる顔なんだけど、それぞれ「ゆる人」化しているのです。
たまたま謙一君の母上が隣の席に座られたのですが、「あんな息子に育てた覚えはない」と言いつつ、ついには噴出して。
無理ありません。だって、おっかしいんだもの。
と、と、ともかく。この年の瀬に来て、なんだかすっきりして帰って来ました。
2013年12月27日
:演奏会, もっと新しい世界
さてさて12月7日は吉崎克彦氏のリサイタル。
そこに日吉章吾君がゲスト出演。
これは聴きにいかにゃぁと、日吉君にチケット送ってもらっていざ銀座へ。
新曲もあるというので、いろんな「もしも」という気持ちも手伝ってワキワキ。
しかし、「もしも」は一瞬にして「無し」と相成りました。
解説します。
「もしも」=私が弾けそうなら
「無し」=絶対無理
ま、そこからは単純に視聴者に浸れるので、むしろ気楽におおいに楽しみました。
全体的に感じたのは、吉崎さんの音の強さですね。メリハリをつけ、当然ハリのところで強調されるわけですが、かなり激しく強く。もちろん相方の富島順子さんの三弦なりお筝なりもそれに呼応するわけで、曲の印象がとても強くなります。
「表現力」ということなんだと思います。
ゲストの一人、中井智弥君も初めて見ましたが、チョーかっこいい。
途中のインタビューで、「吉崎さんは、自由に弾かせてくれました」って言ってたとおり、吉崎さんと富島さんとのデュオと、中井君、日吉君が入ったときの演奏では、空気や色がまた違うものになっていたと思います。色が増えますので、雰囲気も違うスタンスが加わるような。
日吉君も、「よいろ」の時とも「男で地唄」の時とも「ゆる人」の時ともまったく違う雰囲気でした。そのひとあじ違うかっこよさに、つい見とれてしまいました。
たっぷり目の保養と耳の保養をしてまいりました。
2013年12月12日
:演奏会, もっと新しい世界
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