謙一さんのミニコンサートと田嶋直士先生のリサイタル

だいぶ時間がたってしまいましたが・・・・・。

7月22日は立正大学で高畠一郎さんの公開授業で演奏会。ここに謙一さん参加。
7月24日、渋谷の大和田ホールにて、田嶋先生のリサイタル。

二つをついでにまとめたいわけではなくて、演奏会を続けざま聴いたことで私なりに感じたことがあるので、それをちょいと書いておこうかなと。

 

まずは、高畠一郎さん。以前に一度演奏を聴く機会があり、今回が2回目。

20140722
尺八本曲とのコラボで演奏した「六段」。絶妙でしたね。
「瀬音」も、「完璧」で・・・・・。

謙一さんの尺八が、ぐんと変わっていました。
とても丁寧で、なにより「若さゆえの力み」みたいなものが消えかけ、自然な響きが加わってきた感じです。
全部がこなれたとまでは言えないけど、何かを発見したらしいことは確かだと思います。
「頭での理解」から脱却すると、更に大きくなっていくんじゃないかと期待します。

 

そして二日後、田嶋先生のリサイタル。

20140724_1ゲストが澤村祐司さんと、日吉章吾さん。そして、謙一さんが加わって。

「尾上の松」と「八重衣」。日吉さんのお筝、澤村さんの三弦。
彼らの、聴くたびの進化っていったいなんなのでしょう。
新芽がどんどん萌え出ずる感じがして、ワクワクさせられます。すごいです。

さて、田嶋先生と謙一さんのコラボ。
プログラム上では5曲中、中3曲が尺八のみ。
「根笹調+下り葉」「鹿の遠音」「本調べ+山越」というもの。

今まで田嶋先生の演奏を聴いて、何度も想像を絶する体験をしてきました。
音を聴いた瞬間、胎児のように水の中に浮遊してしまったり、演奏中自分の呼吸が尺八にあやつられてしまったり、理由も理屈もなく涙があふれて止まらなくなったり・・・・。

今回は、また違う体験をしました。

20140724_2演奏を聴いているうちに、先生の尺八が見えなくなったのです。

???と、謙一さんのほうを見ると、しっかり見えています。
もう一度先生のほうを見るのですが、もう尺八は二度と見えないのです。
客席のほぼ中央に座ったので、どちらかが見えにくいということはなかったと思います。
また「なにか」が起こっています。
物理的な詮索はやめて、聴き入りました。

「大きな山」を感じました。決して怒ってもいないし、叫んでもいないのですが、得体のしれない、その規模を測ることもできない大きな大きな山です。
静かに。でも絶対にそこにある。圧倒的に、そこにいるのです。

謙一さんの尺八も、いつの日か見えなくなるのでしょうか。
その時は、どんな山になっているんでしょう。