1997年10月21日

1997年10月21日

雪月花のCDを聴いていて、ひょんな事に気づきました。
自分で弾いて、CDを聴いてと繰り返している時、CDの高音部は少し高いなとは思っていたんだけど、ハタと、これはピッチ442で取ってないんでワないかと。全くもって鈍なのでありますが、試しに 444で取って見たところ、音色が完璧に変わってしまいました。
暗いところ、ダサいところがシャープになって、おしゃれな音になったのです。どういうわけか、そしたら急に私の中の物語が息を吹き返したみたいになって、ハマるんですよ。
ズレに気づかなかったことは超恥ずかしいけど、気づいた今、微妙な音のズレが、こんなにも気持ちに影響するものだとわかって、心底驚いています。かなりショックです。CDと一緒に練習するにしてもピッチが合ってなければそれはしんどいはずです。

1997年10月17日

1997年10月17日

雪月花、少し開きました。
あんなにこてこての物語を作ってしまったため、「演」じなければ入り込めなくなって。
だけど、「演」じていると「自分」がどこかに行って、タイミングを外したり、気持ちの割には音がやせてしまう。
「音楽」を「演」じなければいけない訳で。
信先生が「演技は我を忘れて、音楽は自分を見失わないで」と言ってたことを思い出します。
という中、本日、先ほど、頭の中に二人の自分を置くことが出来ました。簡単に考えれば、ただ冷静になっただけなのかもしれないけど、今まで悩んでいたのは、この「バランス」だったような気がするのです。
バランスがとれていないからどっちかになりきろうとして。どっちに傾いてもいい音になれなくて。
女史がいつか言ってた「弾いている自分と周りの音を確認している自分と、客席にいる自分が同時にでてこなければならない」というのは、それもある意味バランスかなと思うのです。

有名らしいけど、あるジャズサックス奏者のことば
****練習を、1日休んだら、女房にわかる。
         3日休んだら、仲間にわかる。
         5日休んだら、仕事がなくなる。****

1997年10月16日

1997年10月16日

9月29日からひきはじめた風邪。11日に大きくぶり返して、筋肉が全部痛み、一日中寝込んで本日に至るまで、まだ直りきっておらず。ひどい目にあっております。
今のところ、何も生まれておりません。
9日は田嶋先生のリサイタルでした。
田嶋先生の音色は飽くまで透明で美しく、優しいものでした。
鳥肌が立つほど柔らかく響く音はやはり芸術品だと思うし、なにしろ一曲終わる毎に先生の楽しそうな笑顔はすばらしいものでした。
個人的にはもっと泥臭い音の方が好きだけど、洗練された音はやはり文句なく。

雪月花は音にゆとりが出てきません。すごく汚い音で。
苦しんでおります。

結局風邪なんかが何かを持って行ってもくれないし、何も生み出してもくれないってことだけはわかりました。収穫、シュウカク。
もう、これは努力あるのみで。いいんですよ、いつものとおり、必死こいてやってればそれだけでサ。などと、ふてくされつつ。
しかし、ホント雪月花は気を抜いたが最後、そこから修正は出来ません。

1997年9月29日

1997年9月29日

10月9日、田嶋先生のリサイタルがあるそうで、受け付けのお手伝いを仰せつかった。

「雪月花」から、今学んでいます。
この曲はなにか魔力を感じます。
私は出身が歌なので、今まで曲想をつかもうとする時は歌詞らしきものを当て嵌めようとしていたのだけど、どうにもぎこちなくなって行く。なんとなくそれはわかっていた。
ところが、同じ吉崎克彦作品の「華紋」の時に頭に浮かんだのは歌詞ではなく「絵」だったのです。桜の木の下で赤い振袖の姫が舞い狂う絵。
今回雪月花にたどり着いて、やはり頭の中にあるのは決して歌詞ではない。心は言葉として出てくるけど、頭でその言葉は追っていない。やはり見ているのは絵。
私は絵が書けないからかも知れない。
人物は出てこない。花の精、雪の精、月の魂として見えてくる。言葉などない。
聖霊たちは何一つ言葉など発しちゃいない。
心の中は絶叫しているのだけど、「言葉」などという小さなものになんてまとまらない。
自分の魂を叩かれ続けている。取り憑かれている。
ほんの一瞬でも気が逸れると続けて弾けない。
魔力としか言いようがない。

これを弾くためには魔力が必要です。

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音楽は心で奏でるものさ。なんて理屈ではわかっていた。心のない演奏を聴くと、つまんないな、とも思っていた。
だけど、どうしたら心で弾けるのか、その答えを探しつづけていた。
あれなのか、これなのか。今までずっとこの日記に思い当たることとか、感じることを書き続けて来た。
今読み返すと、自分の中の意識改革の流れが見えてくる。

いつも“それ”は突然くる。
突然路が開けたり、突然が見えたり、突然手が軽くなったり、それまで一体何をしてきたんだろうと思うくらい本当に「突然」なのだ。
でも、どれをとっても回り道をしてきた訳ではなく、1kmの道を5分で走ろうと、3日かかろうと、それには全部意味があるんじゃないかな。
5分で走りきったときの答えは軽くて、3日かかったものが重いとも限らないし、私は時間がかかり過ぎる方だとは思うけど、だけど自分の足で歩いて来た道である限り、その道程は覚えていられる。どんな石が落ちていたかとか、どのくらい曲がりくねっていたかとか、傾斜はあったかとか。

しかし曲に入ってからは、その道程は忘れなければならない。イメージが滞るから。
歩いてきた足元を見ていたら、転んでしまうし、その先どれだけの距離があるのかわからなければ、どれだけの深さで呼吸すればいいのか見えない。
歩いて来た道を、ただ信じればいい。信じていれば不安な音など出ない。真摯であること。真摯であれば自分を疑う必要はない。そこには驕りもない。そして真摯な演奏しか生まれてこない。
そうであるなら、「誰か」が感動してくれる筈。

1997年9月8日

1997年9月8日

6日の夜は六本木のバレンタインというお店で御木裕樹の和太鼓ライブ。
第一部は木下伸市(津軽三味線)とのセッション。
第二部がロックバンドも加えての派手なライブ。
「木下伸市」は凄いです。
ライブのステージの作り方も御木、木下コンビの息も絶妙で、「プロ」を感じます。
打楽器(太鼓は勿論だけど、三味線というのも打楽器を抱えてるようなところがある訳で)の魅力と力強さ、面白さには、やはりかないません。
お筝で、一体なにができるんだろうか。

「何をやりたいか」っていう問題の原点があるんだけど。
まだ出会ってないんだろうな。
でもお筝の何かを見て、「これだ」なんて言ってたらそれはもう出遅れてる訳だよね。誰かのコピーなんだから。