1995年6月24日 定期演奏会

1995年6月24日 定期演奏会

「炎」が一番緊張しました。結局全体にトロトロとスピード感のない結果となって……。ただ、全般を通しては、全く自分のペースを守る事が出来ました。こんなにも度胸が付いたのかと、なんか不思議な気持ちです。何とはなしに安心しているのです。勿論!トチりましたけど。
中根先生、「小田さんと互角よ」
自分では分かってるつもり。彼女との差が、どこにどれくらいあるか。でも、取りあえずお世辞でも、努力を認められた気がして嬉しい。
鈴咲先生も、「今、面白くて仕方ないでしょ。今度一緒にやろうよ。ただし、古曲を」と。
しかし、栗島氏には徹底的に叱られた。
努力も実力も認める。でも、テクニックはいつか身に付く。完全に身に付いた時点でどういう音を出したいのか、自分の方向を見極めなきゃだめだ。かつてあったあなたのいい物と引き換えにテクニックが付いて来た。失ったものがあるよ。
またまた考え込んでいます。

1995年6 月16日

1995年6 月16日

14日は定期演奏会のための合同練習。
宮城の方の手伝いで「比良」と「初鶯」も出すのだが、中根先生の意向で一緒にやらせてもらう事になった。しかし、中根先生完璧。困った。

1995年6月10日

1995年6月10日

やりました。トチったけど、みんなして誉めてくれて。大感激でした。尺八の山谷さん。素晴らしいの一言です。半端じゃない。上手いなんてもんじゃないんですよ。
こちとら緊張で心臓は飛び出しそうだし、手は震えるし。
筝の前に座った途端、「家に帰りたーい!」って。
そこへ持ってきて小田さんの司会。
1回目のステージでは、「くどき落しました」
2回目、1曲目でトチってる私に「今日がデビューです。暖かい目で。大人しそうに弾いていますが、本当はハードなお姐さんです」と。
興奮冷め遣らぬまま帰宅。1時間はたっぷり喋りまくり。

1995年6月9日

1995年6月9日

本日に至って、もうノイローゼ気味。ごまかして音色だけ合わせる事すら出来ない。どうしよう。
歌なら、どこかのパートが狂ったり、ズレたりするのを聞き逃さないんだけど、楽器の音は自分のなかで、まだ別物なんだな。ずーっと胃薬が離せない。
明日は、とにかくダメ元で、一生懸命。まさに初舞台。
……ギャラ入るんだぞ。タキシード着るんだぞ。……恥ずかしいゾ。

1995年6月6日

1995年6月6日

三村氏宅で一等星の、最初で最後の下合わせ。
二箇所ほど、もっと音を小さくと指摘された。音の大きさで負けまいとしていたのと、曲想の勘違い。なるほどと納得。小田さんの完璧な演奏にショックの連続。