第7章「曠野にて」明日の夢で遊ぼう

1999年7月15日

ゆうべMDで’96に演奏した「躍る」(石垣征山)を聴いた。
3年前のものだけど、急にめちゃめちゃ子供の音に聞こえた。ずっと気づいていなかった。
とりあえずは正確に弾けてて、ボリューム感もあって、半ば「カンペキ!」ぐらいに思ってた。ゆうべまで。
しかし、それは突然聞こえた。
まるっきり子供の音なのだ。今年の私の音はガラリと変わっている。大人になっている。それだって、あれはすくい爪のオンパレードだから、ほんの4小節。へたするとたった一音。それだけなんだけど、ものすごく違うということがわかった。
今朝になったらそれもあいまいになってしまったけど、ゆうべ私の耳には「聞こえない音」が「聞こえ」た。

今私は感謝の気持ちで満たされている。たくさんの人に支えられ、見つめられ、育てられている気がする。

###ほめられて育った子は感謝することを知ります###  -インディアンの教えー

まさに今そこにいる気がする。
ずっと中根先生がいた。阿川先生がいた。そのことに感謝する。
その気持ちを音にできたらいいなと思う。 探してた音ってこれじゃないかと思う。
今まで腕が追いつかないから肉体労働をしてたんじゃないかな。心で弾いていなかった。聞く人にはわかってしまう。
なんか私、変われるかもしれない。見えないものが見えた気がする。

今年弾いた「躍る」のメロディーのところで私の音、歌声に聞こえた。
私、歌ってた。私変わり始めている。

1999年7月12日

昨日は田嶋門下の発表会。

時村さんが20絃で三木稔氏の「秋の曲」を演奏した。実によかった。楽しさが伝わってくる。

中根先生の「幻の柱」は相変わらずクリスタルで。
圧巻は「嵯峨の秋」。すばらしいコンビネーション。眠くならない。聞いていてワクワクしてくる。

しかし、です。田嶋先生の「山千禽(やまちどり)」
涙が出た。なんか第三の涙という気がした。頭の中空っぽになってるのにまさにあふれ出たという感じ。それも入魂の一滴という感覚。宇宙規模の距離を感じた。
敵はうんと遠くにおられます。

しかしその宇宙規模の距離の人がわざわざ降りてきて、そして私に「お筝いいですねぇ」と、まさに顔をみるたびって感じで言ってくれた訳で。すごくないですか?私。

時村さんは20絃をやるのは怖かったという。だけどやらなければなにも始まらないんだと決心して手をつけたのが1回目のリハーサルの1週間前だというのだ。その彼女から受けるパワーは私にとって宝物だと思う。
中根先生もあれだけキラキラ輝く人なのに、いつも謙虚でいられるのもある種のパワーなんじゃないだろうか。みんな凄いですよ。

***「曠野にて」にて***

演奏前にUさんに「4人で演奏するんだよ」(4パートなので)と釘をさされた。
終了後「初めの4分の1は尺八をほったらかしだった」と叱られた。
???!!!なに?
いいえ。やってます。最初のあたり、緊張していて、「自分が」「失敗しないこと」ばかり気にしていた。
Ⅰ筝で、リードしなくては。なんて。
途中で、「あ、尺八ずれてる!」って、やっと意識をつないでいた。

それじゃ遅い。それじゃアンサンブルじゃない。思いやりのない演奏だ。緊張してたなんて、ぜんぜん言い訳にならない。
怖い。心の中が全部さらけ出される。

 

 

1999年7月6日

昨日練習していたら、急にお筝の音が軽くなった。
嘘みたいに。音がどこまでも伸びて、ハーモニックスが、ピーン!!って。
気づいたら、私の手も魔法にかかったかと思うくらい軽やかで。本当に気立てのよい子をもらった気がした。こんなこと急に起こることなのかどうか、本当にわからないけど、突然きた。誰かわかってくれるんだろうか。

みんないい楽器はすぐにはいい音出してくれないというので、弾きこむしかないんだなとは思っていたけど、それは仕方ないとは思っていたけど、とにかく突然、窓全開なのだ。
泣けるくらいいい音出て。 生き物だ、楽器は。

定期演奏会のボロボロは、このせいか?!

1999年6月27日

昨日は定期演奏会でした。
新しいお筝を持っていったけど、なんたって音が出ない。
家で練習しているときも、新しい爪で弾くとボコボコしている上にキャンキャンしていて少し不安だった。

吉崎克彦「筝入門」の中に、新しい爪は、使い古した爪を参考に形を整えるとよい。と書いてあった。
新しい薄い爪だと響かないのかな。

演奏会は悲惨だった。1曲目のすくい爪が外れまくったのをきっかけに、ボロボロ。
書きたくもない。

見えないものを見る。聞こえない音を聞く。

1999年6月22日

「組んで演奏をしていた尺八の人の耳に、私の音が届いていないんじゃないか」という不安にかられた。悶々としているうちにたどり着いたもの。

***今、私の音が、誰かに届いていないなら、届く明日を夢見てがんばろう***

そんなことを考えていたとき教えてもらった言葉

###明日の夢で遊ぼう###

昨日の夢で遊ぶのは大人。子供は明日の夢で遊ぶから、いつも楽しい