第2章「EMOTION」 野心

1996年6月24日

1996年6月24日

 定期演奏会終わりました。
前日から、やけに不安で。ドキドキしてた。会場に着いても、緊張したままで、なんか落ち着かないのです。どうにもならない。
1番「花の歌」
何を弾いているのか、わかんなくなっていた。
尺八との呼吸が合わない。惨め~。
2番「篝火」
尺八緊張で間がはずれた。もう、なんか調子狂って出のテンポがゆっくりのまんまで、どんどん遅くなっていくうちに、自分だけ出るとこ、全く手が動かなくなっちゃいました。尺八のせいにしちゃいけないと、立ち直ろうとした瞬間、小田さんいきなりスピードを上げて来た。そしたらめちゃめちゃ調子戻って、どんどんのった……しかし、その時すでに曲の4分の3は終わってた。
……もうだめ、みたいな。このあともう8曲も弾くなんて地獄のようだと思った。
ステージは、自分の音がよく聞こえる。客席はどの音も、まあよく聞こえること。ゲー!!だ。
もうこうなったら覚悟するしかない。
初心、初心、ダメ元。
3番「躍る」
少し力が抜けて。やっといつもの気分で弾けて、落ち着いた。
4番「螺鈿」
三村氏から「ゆっくりね、ゆっくりね」と言われて、考えすぎたというか、本当にゆっくりになってしまって、かえって間が取りにくい。
このまんまじゃ何とも切ない「螺鈿」になりそうだったけど、小田さん、やっぱりスピードを上げて来た。ありがたいね。
5番「流れ」デース!!
これは、曰く付きの曲になってしまいました。
尺八の矢部さんと、この曲のことがきっかけで喧嘩になったのです。彼は彼で、この曲に自信があったみたいで、おめえらなんかにやれんのかと。勿論、お酒の席でしたから、みんな酔っぱらっての話だけど、言われた私もキレた。
「私たちには私たちの「流れ」があるし、それは絶対面白いよ。聴いてもいないくせにガタガタ言うんじゃないよ!!」
そしたら彼、「ケッ、なんぼのもんじゃ」とばかにした。
くやしくて、くやしくてつい叫んでしまいました。
「もう出来た人とか、初めから出来る人は、出来るようになろうとして一生懸命がんばっている人間の気持ちがわかんないんだよ!」………これだけは理解してくれたみたいでしたけど。
んで、結局本番彼の尺八で演奏することになったのです。
さて、当日。
スピードのコントロールはまあまあいけたんだけど、後半、凄く好きで、楽譜なんか見てないあたり、音がすべって。ウワーッとか思うんだけど、止まれない。
なんか、坂道を転げ落ちるようにラストへ突入。でした。
6番「涙のトッカータ・シバの女王」
ジャーン!一筝の音がとれないよー。
間数が数えられないよー。
最後なんて、弾かないうちに終わっちゃったよー。
皆さん、ごめんなさい。
7番「編曲民謡調」
尺八が駆け足になってしまう部分、合同練習の時も言ったんだけど、やっぱりトットコトットコ速くなっちゃった。
でも2回ぐらいしか合わせてないのに、立派なもんでした。三村氏の17 絃、決まってた。  凄くよかった。
8番「EMOTION」
こちらは、始まる前に小田さんが「飛ばすよ」と言い出した。練習のとき、私の出のスピード上がらなくてみんなイライラしてたんです。そっかー、と思って出たら……。
終わったら小田さん、「あんなに速くすると思わなかったんだもの」……ごめん。
9番「妖精の踊り」
いやいや三村のお父さん、そんなに速くなくていいから。
テンポ戻すので必死でした。
10 番「鯱の城」
最後の最後で三村組としての本領が発揮されました。
終わりよければすべて良し。とは三村氏の言葉。
いやほんと、そう思ったよ。疲れきって。

####打ち上げの席上、阿東先生に目茶目茶誉められました。上手になったって。中根先生なんか「私、超えられました」って、ちょっとそれ、言い過ぎだし。
「頑張ってるゾ」だけは、本当に伝わったのかなって思ってる。
だけど阿東先生、さすがです。「流れ」で、私がスタッカートの手を抜いてやってる一ヶ所を気付かれていました。

1996年6月18日

1996年6月18日

12日は塚山で合同練習。
筑紫のオールスターキャストの前で弾く「流れ」は、震えました。全体的にトチってばかりだったけど、やっぱりひとりで練習している時とは緊張感もさる事ながら、楽しさが段違いです。

####

時々前の方を読み返しては、また書いたりしているのですが、どうにも滅茶苦茶ですね。浮いたり沈ん だり、燃えたり消えたり。表かと思うと裏になったり。
結局のところ自分でもわかんないんですよ。
何を書きたいのか。何をしたいのか。
「全てを分かっていて、何も考えず、理屈など書かず、一心不乱にお筝を弾く」こそが真の道であろうかと思 ったりもするのですが。
いちいち自分を励まさなければ出来ないんだったら、やらんでエエって感じもするのですよ。
嫌ならやめちゃえよ、と。
子供の頃のように、風に揺れる木々を見ていても、何の形にも見えない。木は木にしか見えなくなっています。
あの頃のように、未来の自分がふと見えたり…しないんです。
そんなのは、客観的に考えれば理由は分かっているし、43歳、子持ちの主婦に求めるべくもないものだと言うことも理解しているのだけど、どこかであがいているんです。
大人になれないからかもしれないけど、なりたくないのです。
そうそう、出来れば子供になっちゃいたい。

1996年6月3日

1996年6月3日

自分がどんな弾き方をしているのか、どう弾くべきなのか、知りたいと思ってテープにとってみた。
愕然として。力尽き果てて。
なんか振り出しに戻された感じ。

エモーション?スピードのことだけじゃなくて小田さんは滅茶苦茶がっかりしているんだろうな。一言で言えば、全くなっていない。
リズムを正しく刻めていない。アルペジオに聞こえない。
スフォルツァンドが全然きいていない。強弱がついていない。

批判されたらされたで腹立つ気もするし。
だけど歌えていないのであります。

螺鈿も超かわいそう。
うるさいだけ。弾いていてもうるさいと思ってたけど歌えてないからやたらうるさい。

どうしたら…もちろん練習するしかないことはわかっているけど。
栗島さんに言われたこと、噛み締めますね。
自分の音ってなんだろう。ちゃんとテクニックがつけば出せるようになるのかな。

1996年5月27日

1996年5月27日

こ手毬を弾いてみた。
すこし出来るようになった。
ひとりで弾いてるの、つまんない。

1996年5月24日

1996年5月24日

北海道出身の男の子(熊川哲也)が15歳でロンドンに渡り、21歳でロイヤルバレエ団の主席ダンサー。24歳の今、バレエ団のトップにあると、テレビで紹介してた。
その子のレッスンは毎日10時間にも及ぶという。
歌舞伎役者の18歳の子も稽古は10時間だそうである。
プロの世界ってそういうもんだろうなあ、と思う。「自分自身の中」に目標があるからじゃないだろうか。自分に求めているものがある時、どんな練習も終わりは来ないんじゃないのかな。
どうなれるのか、どこまで行けるのか、全く予想もつかないし、今、何の活動もせず、人から与えられたものしかやっていないのだから、頭打ちかな、とも思うけど、なんか有りそうな、自分の中に何か有りそうな気がしている間は、やっぱり探していたい。凄く消極的なんだけど、商売上手にならなくてもいい。一生を掛けてやりたいのは、自分で自分の音が納得出来るようになることかな。
音楽なんて、凄く刹那的で、だからなんなんだよと言う最たるものだと思うけれど、その、瞬間に消えてしまう潔さが好きなのかもしれない。

****天才を造る方法
・ 目標は、手の届くところに置いて、少しづつ達成する度に上げていくこと
・ 動機は不純であること…カッコいいと思われたいとか、誉められたいとか。

…動機だけは不純なんだけどな…

「鯱の城」
「鯱の城」、結局定期演奏会に出すんだけど、一年前にやったきりだったのに、今弾くとあの時悩んだところが普通に弾けるようになっているんです。新たにテクニックも教えてもらったけど、どういう事なんだろう。一年間練習もしなかったのに。
何かが変わったんだとは思うけど、「いつ?」とか思ったりする。
2月頃小田さんと話ししてた時、去年「鯱の城」を2週間でよく上げたね、って話題になりました。
「私の頼みの綱は、だめだったら小田さんが断ってくれるだろうと言うことだけだった。」と言うと、「自分なら、あの段階では受けなかった」と言い出したんです。
8ヶ月もたって、と言うか、終わってしまってから何をか言わんやと言う感じなのですが……
結局無知である強みだろうと思う。
もし、自分の非力とあの曲の大きさを知識として知っていたら、できたかどうかわからない。
そんなこと言ってても、小田さんだって本当は断ったことはないのだ。それは無知だからじゃなく、「できる」と自分を信じているからなんだけど…。
今急に鯱の苦手なところが軽くなったと思ってるし、あのとき何も知らないから受けたけど、どちらも、つまり知らないうちの成長も、無知も、共通して言えるのはパワーが沸いてくる源になったということじゃないんだろうか。
固定観念を持っている時と無心ではなく有心でいる時は、パワーは生まれないのではないのかと。