1996年3月28日

1996年3月28日

13 日に練習。「風になる瞬間」は、みんな初見のためボロボロ。次回に持ち越しとなりそうです。
同13日、新しい曲を貰いました。
「EMOTION」と「編曲民謡調」
どっちも洒落ててカッコいいです。楽しみです。

####「炎」をやった日から、考えてみるとたった一年しか経っていない。
心中複雑である。良くやって来たなって気持ちと、何をしてたんだろうという気持ち。
たった一年で、今少し情熱が失せている自分。
理由は色々。やはりメインで弾いてみたいという野心と、それは全然無理だという理性と、中音の高さの方が好きだという気持ちと、いつまでも介添いじゃつまんないという思い。

 10日は永子の入学式。
各先生達の祝辞だけという、ごくシンプルな入学式だったのですが、それぞれの挨拶の素晴らしかったこと。覚えている物を書いておきます。

*俳優江守徹に、演技論を話して欲しいと言った時の返事。「自分の演技が自分の演技論だ。語ることは出来な い」

*インスタントで済ませたら、スコーンの真ん中にナイフが入らない。プロセスを抜いてしまったら、簡単に出来上がっても美味しいスコーンにならないのです。
手間暇掛けて、思い悩んで結論を出した時、初めてその人それぞれのコツを掴むことが出来るのです。

*必要なことは、テクニックと理論、そして感性です。

*趣味で終わらないでください。一歩進めてプロになれ。
その為に、耳をそばだて続けてください。

*知ることは、知ったものを好きにさせてくれますが、「好き」で終わるのではつまらない。知ることによって「楽 しく」なるところまで持っていって、「プロ」なのです。

*70年代の音楽が、今更の様に流行っている。
パソコンのキーボードを叩きながら録音に携わっている今日、NHK交響楽団の昔ながらの録音風景を見て、 なんて音楽的なんだろうと思った。
これから勉強する中には、古いんじゃないの?と思えることが沢山あるだろうけど、君達にとって、それは 70年代の音楽の様に新しい発見となるかも知れません。

* なぜ?どうして?と思う心を忘れないでください。
私のほうがかえって感動したかもしれません。

*テレビで……
浅井慎平
表現するというのは、対象との距離を詰めていくことです

私の不安、迷いを、なんか全部解消してくれそうな言葉ばかりです。

「EMOTION・編曲民謡調」1996年3月8日

「EMOTION・編曲民謡調」
1996年3月8日

三村氏から先日電話。次の曲を決めてもらったら、少し元気が出てきました。
そんなに惚れ込んでいるなら、と「風になる瞬間」を入れてくれたけど、三音で和音に終始していて、もう手の筋はつりそうだし、手首は痛いし、肩が凝って歯が合わせられないし。どうしよ。

1996年2月29日

1996年2月29日

深~いスランプはまだ続いております。
昨夜は、BUDDYというお店で永子さんとライブを聴いて来ました。
三味線ライブというので興味を持ったのですが、半プロか半アマか、デビュー目指す若者か、三味線で何をしようというのか。聴かせてもらおうじゃないのと緊張してんのはこっちなのに、強気で行った。
PM9:05チューニングが始まった。BGMを消して、スポットつけて、弾き始める。エッ?なんと、ゆっくり弾いているその曲は「浦島太郎」なのでして。そこそこメロディーが終わったあたりで自己紹介。張りのある良く通る声。
と思ったら、いきなりシンセサイザーのスイッチオン。ドラムです。そこからは、もうドツボ。語りあり、歌あり。一体何なんだコイツは、と思ったらプロの浪曲師だったのですよ。  ハー?
すんげえ!
口上の素晴らしさ、三味線の迫力と、たおやかさ。ウィットに富んだ語り。更には客の引き付け方。究極、店内は笑いの渦の中で完璧に同化してしまいました。私とて、涙を流して笑いつつ、感動の嵐でした。
無知を恥じるばかりではありますが、その人は、今をときめく知る人ぞ知る、その名も国本武春氏だったのであります。
もしかして私のやるべき物は、お筝じゃないんじゃないかと思ってしまうほどの感動でした。少しお話が出来たのですが、浪曲の前はバンドで洋物をやっていたと聞いては、もう、やっぱりそういうものが中になくちゃって。
またまた考え込んでしまいましたです。

1996年2月20日

1996年2月20日

18日の観梅会は、雪のため中止。ゲッって感じですが、中止でした。

####急な話ですが、今蟻地獄状態。
なんでお筝なんて弾いているんだろうって。
そんな事考える理由も分かっているし、それだって、ここ数日のことなんだけど。
とてもとてもおこがましい話なんだけど、なんか自分は芽が出なそうな気がしたのです。
周りの人達が、「頑張ってるね」「凄いね」「どうしてそんなに一生懸命になれるの?」って言ってくれてたことを、少し勘違いして解釈してた気がするんですね。
勿論初めは、こんな資格も持たないまだまだ未熟な私でも、頑張る気持ちだけはあるんだぞ、前に進もうとしているんだぞ、だから、自分の腕はここまでだ、なんて決めて諦めちゃっている人達、一緒に頑張ろうよ、なんてさ。殊勝ぶっていたんですよね。
殊勝だったんじゃない。殊勝ぶってただけなんだって、ここんとこ、気付いてしまったんですよ。
大体、「まだまだ未熟」ってあたりが、既におこがましい。
「まだまだ」ってことは、これから上手になるって事だよ。無意識にそういう高飛車な心根が初めからあったんですね、こりゃ。そしてその「がんばり」みたいな物を、みんなに見せ付けて、「すごいね」とか言わせて、そしてそして、誉められた気でいた。上手だと誉められた気でいた。
だけど、実際はどうなのよ。いつもいつもメインの人の後ろで介添いをして、生かさず殺さずの音を出して。一人じゃ何にも出来ないくせして、ちっとは目立ってるかな、なんて思い始めていた。ところが、よくよく考えてみると、私と一緒に演奏したいって人もいなければ、いい音出してるねと言われもしない訳だよ。
どういうこっちゃ。
どうなってんだよ。みんなどう思ってたんだよ。どう思ってるんだよ。
あれ?ってなもんですよね。もしかして、思い違い?思いっきり勘違い?とハラハラ分かったんですね。
中根先生の「互角よ」も宮川氏の「自分の音出してるよ」も、実は、やっとつかまり立ちした赤ん坊に、「あんよは上手」状態だったんですよね。
頭の一方で、全く初歩だということは分かっているんだけど、他方というか、自分の中の自分が、私は上手いと思っちゃっているんですよ。だから、なんか色々腹が立つ。目立ちたがりの自分がムクムク起き上がって。
今のところ、「こんな気持ちでいるからこそ芽がでないんだよ」って思えているけど、恐いよ、このままだと。
張り子の天狗…なんてあるのかどうか知らないけど、そんな感じ。水でもかけられたら、そんな鼻なんていっぺんで溶けて落ちてしまうのに、やたらどんどん高くなっていいきそうで。
あぶなそうなところからは逃げそうで。
三村氏から電話で18日中止になって気が抜けていないか。次の曲好きな物選んで。と励ましも含めた話をしてもらって、今筝のテープを流して初心に帰ろうとしているけど……無心になりたいです。なれる人間になりたいです。

1996年2月15日

1996年2月15日

観梅に向けて、最後の詰めに入っています。
今回のネックは…色々あるけど…特に「じょんがら」です。うるさい演奏にならないかと、ジレンマに陥っていますが、今日弾いてみると、なんとも全く新鮮な感覚に囚われました。
初めて自分の弾いているメロディーが分かったのです。これだけ何度も練習しているのに、急に自分のパートがはっきりと、しかも重要だと、体で、多分頭でなく、耳で見えたという感じなのです。
出来る人は初めから分かるのかもしれないから、大きなことは言えないのですが、何か薄紙を一枚剥がしたような、曲がスーっと浮き上がる感じ。
それが見えたら、いきなり手が軽くなった気がするのです。一体これが何なのか分からないのだけど、力が抜けていく感覚があります。
ビブラートの付け方を教わってから、どの曲に対しても少し感じ方の変化があるけど、「じょんがら」に関しては飛躍的に違ってしまいました。
なにが、どう身に付くのかわからないけど、またしても夢中にさせてくれています。
音楽よ、ありがとう。