男で地唄

昨日は、東京深川のお寺で、「男で地唄」を聴いてきました。

私にとっては、新鮮な驚きと感動に満ちた会でした。

まずは、「さむしろ」。これは故中井猛氏の追悼曲として。
知り合いとしては、澤村君と日吉君が出演していて、更にはお話をしたことはないけれど、村澤丈児君も入っての演奏の素晴らしさには感服しました。
しかし、それにも増して池上眞吾先生の三弦の音色にも心を奪われてしまいました。
必要なところで「音が立つ」と言う感じ。

私なんぞは、とやかく感想など言う耳など持っていないと思いますが、理屈ではなく、心奪われてしまうのはいたし方ありません。

また、長谷川慎氏による「野川流地唄三味線」と言うものについての講義があり、大変興味深く聞かせていただきました。

その講義の後、復元された明治時代の三味線3丁での演奏。
その音の野太さにとてつもない音の広がりを感じました。
撥も駒も普段拝見したことのないものでしたが、そこから出てくる音は、どこか人間くさいというか、「楽器」以上のものというか、自然体な感じがするのです。
曲も「早舟」(野川流三味線本手組歌中組)という初めて聴くもので、唄が15番まであるのです。その歌詞がおもしろい。
また、曲そのものが、なにもわからない私でも実に楽しいのです。
基本、三味線音楽なのはもちろんわかっていますが、時に琵琶のようであり、時に胡弓のようであり、時に現代音楽の音並びに聴こえてきます。ハイカラなんです。新鮮な感動をしました。

そのほか、ご当地ものとして「文月」。利根君も演奏していたという「古道成寺」。
プログラムに(聴く方の年齢を考えてか、字が大きくて見やすい)全歌詞が印刷されていて、曲の意味を考えながら、感じながら聴くので、ついに普段の「誰の演奏が」とか「あの人の技術が」という聴き方は吹っ飛んで、 ただひたすら「音楽」にのめりこんでしまいました。

それでも澤村君の泣かせてくれる唄や演奏のバランス、日吉君ののびやかで色っぽい唄やはぎれのよい手さばきは見逃さずに聴いて来れました。

大人の、日本音楽の、コンサートでした。