1999年11月29日

ここのところちょっとまたお筝感が変わってきている。

今まではお筝を「媒体」に音楽を表現しようとしているんだと思って、それを発見したことを大いに喜んでいたのだが、本当の媒体は私自身、要するに弾き手なんじゃないかと。

***金の茶釜を芸術と呼ぶなら、その芸術に値するのは、金そのものであって茶釜ではない***青山二郎

これを読んで感動した。

お筝という芸術品が私という媒体を通してなにかを人に伝える。
お筝が私にどうしてほしいのか、あるいはその曲が私にどう演奏されたがっているのか感じ取れる媒体とならなければ、筝も曲も死んでしまうのではないか。
媒体は自分なのだと思うと、無理がなくなる気がする。肩の力が抜け、私という「個」がなくなる。聞いている人にとって媒体に個は不要だと思う。演奏する側が「個」をかなぐり捨てたとき、聞き手に初めて音楽が流れ出すのではないだろうか。個という余分なものがないから音楽そのものに集中できるのだと思う。

1999年9月16日

誕生日です。すごい年齢になりました。

少し前だけど、中根先生と「鯱の城」の練習をしたときのこと

Ⅰ筝を弾いている先生の後ろでⅡ筝を弾きながら、私はこわかった。
先生の体全部から「鯱の城」の曲そのものが聞こえててくる。先生を包むように曲があふれている。
下手なことをして、その曲の流れを寸断してはいけないと思うとこわくて震えた。

***個性を伸ばすために「型」がある*** 野村萬斎
型は自分を切り替えるためのスイッチ

1999年8月20日

アーチスト 日比野克彦

****見えないものを、見えるものにする*****

見えないものを・・・・・「見てる」だけでは普通の人間なんだ。
今ショックを受けている。

聞こえない音を・・・・・
聞かせなくちゃ意味がない。どこかで誰かが必ず聞いている。

夏休み、箕輪で見た花火。
小規模だけれど、ドラマチックだった。

あんなふうに演奏したい。
プロローグがあって、爆発があって、エピローグがあるような
気持ちの中に、きちんとドラマが息づいているような。
あ”-ッ! うまくなりたい。
人になんて左右されずに、自分の心のままに
            

1999年7月19日

技術のない私がいて、技術のある人たちがいる。
技術のある人が「聞く人に受ける弾き方」を語った。
技術のある人が「音楽を音で作ろうとしている」と師匠に言われたという。

考えてしまう。そこに心は存在するのだろうか。必要ないのだろうか。

私はある意味基本をすっ飛ばして、曲そのものからテクニックを拾って走り続けた結果肉体労働に夢中になっていた。技術が身についていない間、なにか言われても口答えもできなかった。「心」を置き去りにせざるを得なかった。

でも、今私は「心」を拾いに戻ってきた気がする。

出会った技術を持っている人たちからもらった財産は計り知れないけれど、今一度原点に帰った気がする。

1999年7月16日

吉崎克彦「筝入門」の中の「鸚鵡」という曲を3回弾いたら上手になると邦楽ジャーナルに書いてあったので、当然のことながら買いました。17絃入門もあったので、それも買って、ついでに水野利彦「三味線入門」と、それぞれのカセットも買ったら、合計8000円ぐらいになってしまった。

入門書の練習曲をやると、特に17絃の譜読みが楽になる。
音色の違いもよくわかる。
吉崎克彦氏は、この練習を1時間やって、後の短い時間曲の練習をするのだそうだ。訓練した技術に曲をのせていく感じらしい。
私は不安だから、やっぱり曲をやる時間のほうが長いけど、それでも練習曲は腕の角度とかをキープして速度を保つのは非常に厳しく、やはり訓練になる気がする。

今、なにかが起こっているという思いとは裏腹というか、関係なく、やはり練習をしていなければ弾けなくなります。
曲だけやっていると、基本があいまいだから、自分が楽なほうへ体勢が逃げてしまって、結局やりにくい曲が出てくる。
入門書の練習曲はあらゆる奏法がはいっているから、一通り弾けるようにならなくちゃいけないと思う。